平安時代も終わりに近い11世紀末〜12世紀後半にか...
筑後国府(第4期国庁)跡 / / .
平安時代も終わりに近い11世紀末〜12世紀後半にかけての国庁です。
発掘調査の結果、大型の四面廂建物を中心とする前半期、長大な建物で広場部分をロの字型に囲んだ後半期に別れます。
その南側には東西に走る道路遺構があり、道の反対側に床張りを持つ館的な建物群が営まれています。
仁治2年(1241)年の「筑後国検交替使実録帳」には国司の交代の際の引き継ぎ内容として、大治5年(1130)からの「国府院」の施設の実情が記されています。
多くの建物が既になかったり破損著しい状態であることが記されていますが、この「国府院」がこの遺跡に相当すると考えられています。
なお、本遺跡は、建物跡の柱の位置を植栽で表示するなど、保存と修景がされていますが、南筑高校敷地内にあるので見学の際は、学校事務室から許可をいただいてください。
名前 |
筑後国府(第4期国庁)跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
ここは、南筑高校の敷地内です。
見学するときは、高校の許可をとるようにしましょう。
正門から入って校舎を通り抜けるとグランドと校舎の間に看板と建物の礎石跡を標すコンクリート石がみられます。
高良記によれば、1073年に国府が移転されたとの記述があり、ここの遺構群が、その国府国庁と考えられています。
その後12世紀後半まで国庁があったと思われます。
1期から4期まで約500年にわたって国府が存在したのは、全国的にみても珍しいことです。