名前 |
園福寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
真言宗に属し、薬師如来、地蔵菩薩の二仏を本尊としている。
持統天皇の御代、行基この地を訪れ、二仏を刻んでこれを祀り、寺を創設したといわれ、また後空海が伊予巡歴の際当寺に詣で、弁財天並びに15童子の像を安置したと伝えられている。
天慶4年(941年)小野好古、源経基等が藤原純友討伐に際し、当寺に戦勝を祈願し、その霊現に奉謝して、伽藍を改築し、荘園を献じた。
その後、元暦3年源頼朝平家迫討のため、伊予河野氏を代参させて戦勝を祈願せしめ、戦後太刀一振を奉納した。
その後天正13年の役の兵火にかかり、更に元治元年には火災にかかり、現在の本堂は慶応元年(1865)に再建され、庫裡は、昭和8年(1933年)に改築されたものである。
また円福寺は天正13年(1585年)*迄、宇高の東北方に当る寺田と呼ぶ地にあったが、天正陣に際し小早川隆景のために焼かれ、その後新須賀に移して再建したもので、その当時新居浜屈指の大寺院として栄え、七堂伽藍を有し、八幡神社の別当寺となっていた。