ここは昔から変わってないね..
ここは昔から変わってないね..
公園でまったりと過ごしながら歴史を感じることができます。
猿江という地名は、源平時代の猿藤太という武将の名前にちなんでいるそうです。
江戸時代には火災など有事の時に直ぐに使える材木が蓄えられていた幕府の蔵が猿江公園の敷地いっぱいにあったそうです。
今は碑が残っているだけで少し寂しいですね。
江戸時代の「木場」は間違いなくここだったんです。
海が遠ざかるに連れて、新しい木場が輸送により海上輸送に便利な場所に作られていったんですね。
暑い日でしたが、木々に囲まれ大変癒されました。
黒土に水辺に木の実など・・・。
自然に入り込みたくさんのいい気を吸いました。
落ちていたどんぐりはつやつやしていて拾えきれないほどでした。
この自然のプレゼントを頂き、持って帰り、見るたびに不思議と癒されています。
碑が建っており、下のように書かれてました。
この付近は江戸時代初期に埋め立て元禄十二年(1699)深川元木場にあった時木場を一時ここに移したことあがあり、そののち享保七年(1722)伊勢屋毛利藤左衛門たちが堀を埋め立て毛利新田をひらいたが享保十九年(1734)幕府はその大部分をとりあげて材木蔵をおき以来幕府の貯木場となし明治以降は皇室所有の貯木場となり大正十三年(1924)その一部を猿江公園とした。
運動公園と庭園として整備されてますスカイツリーも見れる公園。
今は何も残っていませんが、1773年頃に、幕府の材木蔵が作られました。
その後、明治政府、皇室を経て、東京都の公園のなりました。
特に何にもありませんでした。
名前 |
猿江材木蔵跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト |
https://www.city.koto.lg.jp/103020/bunkasports/bunka/bunkazaisiseki/shiseki/16078.html |
評価 |
3.9 |
大規模な構造建築物の跡ではなく小さな石柱のみが残されている場所です。
石柱には「以降は皇室所有の貯木場となり、大正十三年その一部を公園とした。
昭和三十三年十月一日 江東区??一号」と刻まれていました。
石の裏側にも何かが刻まれているかも知れないと思いみてみたかったのですが、芝生に足を踏み込んでも良いのか分からず断念…。
周辺は緑が多くあり素敵な場所でした。