小さな公園の中にある住居跡遺跡です。
国分寺崖線の崖の上には、縄文遺跡がたくさん発見されていますが、この遺跡もその一つで、縄文時代中期、約4千年前の住居跡で、住居の形が手で持つ柄鏡の形をしており、また、河原石を敷き詰めているのが特徴で、柄鏡形敷石住居跡と呼ばれています。
この地方の当時の縄文土器は、勝坂式土器と呼ばれており、特徴ある造形をしています。
縄文時代が終わり、次の弥生時代になると遺跡は皆無に近い状態になります。
このあたりは、水が少なく、農業には適さなかった為でしょうか。
本格的に農地が開かれたのは、時代が大きく下り、江戸時代になり、玉川上水が開通し、多くの分水路が出来るまで待つこととなったようです。
東恋ヶ窪遺跡と同じ場所です。
同じ遺跡です。
ここら辺なら掘れば何か出てくる。
それだけ歴史がある。
本町四丁目公園内にある史跡。
国分寺市教育委員会教育部ふるさと文化財課が管理。
小さな公園の中にある住居跡遺跡です。
ただの公園です。
普通の公園の中に設置されていて、歴史の重みは感じられない。
期待はずれ感が強い。
遺構の上に屋根があり薄暗い上に、金網で囲ってあるので見づらいです。
自分が見た当時は秋ごろで、枯葉が構内に積もっていたのもマイナスポイント。
柄のついた手鏡のような形をした敷地に、敷石をした住居の跡、という意味らしいです。
遺跡そのものではなく、復元されたものらしいです。
屋根に覆われてはいますが、周りは柵で囲われているだけなので、はっきりと様子を見ることができます。
日立の研究所の横、団地やマンションの中の、小さな児童公園にある遺跡です。
ゴミだらけで薄暗い公園住居跡にもゴミが投げ込まれている。
名前 |
柄鏡形敷石住居跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.1 |
恋ヶ窪東遺跡として鏡形敷石住居が復元、展示されています。