日本海から琵琶湖へ抜ける地域を支配していた豪族当主...
上ノ塚古墳(じょうのづかこふん)は、脇袋古墳群の中央部に位置し、西塚古墳の東に隣接します。
主軸方向を南北にとり、前方部を北にむけ、全長約100mを測る前方後円墳です。
古墳は盾形の周濠をもち、三段に築造されています。
墳丘には葺石・埴輪・木柱がめぐらされています。
埋葬施設は未調査のために不明です。
若狭地方、最大の規模を誇る前方後円墳であり、築造年代は4世紀末~5世紀前葉と考えられます。
古墳のある場所は、かつて支配者にとって大きな意味があったことを意味する。
今では想像もつかないのだが、それだけに古代の人々の祈りを色濃くイメージできる気がする。
古墳のある場所は、かつて支配者にとって大きな意味があったことを意味する。
今では想像もつかないのだが、それだけに古代の人々の祈りを色濃くイメージできる気がする。
名前 |
上ノ塚古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
日本海から琵琶湖へ抜ける地域を支配していた豪族当主か? 大きな前方後円墳ですが、二段造りになってます。
こちらも昔から渡来人との交流もあったのでしょうし、丸山古墳は平地に造られてますが、こちらは山の麓で少し高くなってますから北川の氾濫時でも浸かることは無かったと思いますし、もっと昔は、入り江だったのではないでしょうか? これだけの古墳があれば人々の生活もあったのでしょうし、米か?粟か?何が主食だったのでしょうか^^; キレイに整備管理されてます。