特に日本ひいきだったわけではない。
日本人ならこの方が何を訴えたかったのかを自分の手で調べて、自分の頭で考える必要があります。
前回訪れた際に、10分ほど頭を垂れつつ感謝を申し上げてきました。
歴史を学び、日本人の民族性を考えるときに、先の戦争(大東亜戦争)とそれ以前の日本人が、周辺国が叫ぶような悪の権化であったとは思えません。
もちろん、生死に臨む場面が多くありましたので、やんちゃな面(人)はあったのだろうと思います。
また、イデオロギーの戦いの側面もありましたので、プロパンダ合戦になった面もあるようにも。
でも、全体として観た時に、日本の精神性の高さは維持されていたように思います。
そして現在、周辺諸国に対しては、厭くまで史実ベースで、丁寧に説明をしていくしかないのだろうと。
そうした点を考えながら、客観的な事実と法に照らしてご判断・ご主張された判事には感謝せずにいられません。
その正義と勇気に、感動、感謝せずにはいられません。
かの有名なパール判事の石碑。
立ち止まって読み耽ってしまいました。
極東軍事裁判で、唯一まともだったパール博士、この方に足を向けて眠れません。
パール博士のことを知ったのは10年ほど前のこと。
インターネットの普及が、教育と新聞とテレビが教えてこなかった歴史を知るきっかけ与えてくれました。
忘れ去ってはいけない歴史や、伝え続けなければならないことを教えてくれました。
パール博士の碑の前で、そっと掌を合わせます。
R1.08終戦60周年(2005年)に建立された顕彰碑。
東京裁判という戦勝国によるでたらめな裁判で、唯一この人だけは日本は無罪だと主張してくれた人である。
アジア諸国のなかで大東亜開放戦争にて日本に感謝していないのは韓国中国。
偉大な国際法学者にして判事。
法学者として正当に、極東軍事裁判における日本の立場を述べた判事です。
いわゆる東京裁判においてパール博士は、特に日本ひいきだったわけではない。
国際法に照らして、公正な判断を下した、ということ。
当時の状況下では、相当な勇気が必要だったのではないか、と想像する。
安倍総理がインドを訪問した際、パール博士の子孫を表敬訪問している。
極東軍事裁判で裁判官の中でただ一人、被告全員無罪の意見書を提出したパール博士の碑です。
2005年に建てられました。
穏やかな良いお顔をされておられます。
立派な石碑です。
石碑に書かれている事を確りと読んで欲しいです。
東京裁判において事後法をもって裁くことは国際法に反するなどの理由で被告人全員の無罪を主張した「意見書」世界に示したインドの公平な判事殿。
名前 |
パール博士顕彰碑 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3261-8326 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 6:00~18:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.5 |
時が熱狂と偏見とをやわらげた暁にはまた理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁にはその時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求するであろう。
この方についてここで初めて知りました。
銅像の多い中、遠目に目立つドヤ顔。
首の角度が大切なようです。