パーキングは無料、北条政子の墓がここにも有りました...
鎌倉駅・東口から若宮大路を横切り、鶴岡八幡宮とは反対方向に歩き、鎌倉郵便局とスルガ銀行 鎌倉支店の間の道を進むと、右手にあるのが本覚寺。
本覚寺を過ぎて滑川にかかる夷堂橋(えびすどう ばし)を渡って小町大路を右へ進み、最初の信号(大町四ツ角)を左へ道なり(大町大路)に進んだ所にあります。
鎌倉駅から徒歩15分ほど(八雲神社などと一緒に参拝するのがオススメ、八雲神社からであれば、前の道を材木座海岸の方向に進み、十字路に出たら左へ歩いてすぐ)。
拝観料は200円で、山門のところに置いてあるお賽銭箱のようなところに、自分で入れて入山します。
もともと、この地には浄土宗の善導寺(ぜんどうじ)がありました。
のちに北条政子が亡き源頼朝の冥福を祈って、長谷の笹目ヶ谷(ささめ が やつ)に1225年(嘉禄元年)に建立した長楽寺が1333年(元弘元年)、兵火により焼失したため、善導寺の地に長楽寺を移し、北条政子の法名(ほうみょう、浄土真宗における戒名にあたる)である安養院がお寺の名前になったといわれています。
安養院は1680年(延宝8年)に再び全焼。
再建の時に、源頼朝に仕えた田代信綱(たしろ のぶつな)が1192年(建久3年)、比企ヶ谷(ひき が やつ)に建立した田代寺(たしろじ)が統合されました。
本堂には、ご本尊の阿弥陀如来像、北条政子像、田代寺にあった千手観音像が安置されており、境内には日限(ひぎり)地蔵が安置されている地蔵堂があります。
決まった日数内に願いを叶えてくれるとの言い伝えから日限地蔵と呼ばれており、南北朝時代のものとも言われています。
本堂に向かって左へ進んだ裏手には、大小二つの石塔(宝篋印塔 ほうきょういんとう)があり、小さい方の石塔は伝・北条政子の墓(供養塔)といわれており、大きい方は安養院の前身である善導寺の開山・尊観(そんかん)の石塔と伝わり、1308年(徳治3年)の文字が刻まれていることから鎌倉最古の石塔として重要文化財に指定されています。
境内は狭いながらもすぐ裏手には崖肌が見え、とても鎌倉らしい雰囲気のお寺。
鎌倉有数のツツジの名所らしく、見頃(4月下旬~5月上旬)は見事だと思います。
御朱印は、山門入って右側の受付にていただけます。
4種類ほどありました。
なお、映画監督の黒澤明が奥様とともに納骨されているそうです。
今日2022.12.6は、いざ鎌倉へということでい古道大町大路に有る浄土宗の安養院をご紹介させて頂きます鎌倉殿の13人でも尼将軍となる北条政子が、亡き夫源頼朝の冥福を祈って建てた長楽寺が焼失したため;鎌倉末期にこの地にあった善導寺の跡に長楽寺を移し、政子の法名である安養院を院号とし、これが寺名になったといわれるその後、江戸時代の初めに田代寺の千手観音を移した本堂には北条政子のお墓や像などが安置されている此処に有る宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、1308年に建立され、鎌倉に存在する銘が分かるものでは最古の石塔です。
山門前のツツジが、ちょうど見頃で、とても綺麗でした。
安養院は、北条政子が、夫;源頼朝の冥福を祈るために、佐々目が谷に建立した祇園山長楽寺が前身とのことです。
佐々目が谷は、現在、鎌倉文学館がある辺りで、長楽寺跡の石碑が立っています。
石碑によれば、800m四方に七堂伽藍が立つ大寺院だったそうですが、新田義貞の鎌倉攻めの戦火で焼失、同じく焼失した大町の善導寺跡(現在地)へ安養院として移されたそうです。
安養院は北条政子の法名とのことです。
その後、江戸時代に再び全焼したため、かつて頼朝に仕えていた田代信綱が建立した田代寺の観音堂を移し再建したそうです。
本堂に祀られている千手観音像は、「田代観音」と呼ばれ、政子がこの観音像に祈願したことで、頼朝と結ばれたり、天下をとったことから、良縁観音・昇竜観音とも呼ばれているそうです。
ーーーーー鎌倉三十三観音(第十三番:千手観音)、鎌倉二十四地蔵尊(第二十四番:日限地蔵)、弘法大師相模二十一ヶ所霊場(第八番)のご朱印を頂きに3回参拝しました。
鎌倉駅から歩いてもいける距離にあります(10分くらい)。
山門のところで拝観料百円を納めます。
とても静かなお寺です。
今度はつつじの季節に来てみたいです。
仕事半ばで行きました、拝観200円、パーキングは無料、北条政子の墓がここにも有りました。
こちらは墓石に政子と書いてます。
大きな立派な大木が印象に残ります。
一度は行っても良いかもです(笑)
浄土宗 坂東三十三観音霊場第3番十一面観世音 北条政子のお墓があるお寺。
800年以上前のお墓です。
数多くの人がお参りしているのと、このお墓を守り続けてきた人の力に敬服致します🙇
坂東観音霊場第三番札所、浄土宗の寺院です。
鎌倉駅から徒歩圏内ですが駐車場もありました。
つつじの季節は見どころとして有名ですが、今回は夏の暑い盛りに鎌倉市大町周辺の神社仏閣を詣でました。
拝観料は200円でセルフで箱に入れ入場です。
こじんまりと整った綺麗な境内で、お詣りの後に御朱印を授かり観音様と阿弥陀様の二種をいただけました。
坂東三十三ヶ所観音霊場 第3番札所祇園山 安養院(ぎおんざん あんよういん)宗派:浄土宗 ご本尊:千手観音菩薩田代観音とも言われ、鎌倉市大町のお寺や神社が多くたつ住宅地に立地。
元々は北条政子が源頼朝を供養するために建てた寺、祇園山長楽寺が今の場所に移され、政子の戒名「安養院殿如実妙観大禅定尼」からこの安養院と名付けられた。
境内には政子の墓もある。
大町方面の寺へは何度も訪れていますが、こちらの寺は初めてです。
ツツジの満開の頃に来たかったかな?門の横の木箱に自分で拝観料200円を入れるようになっていました。
コンパクトで綺麗に手入れされた境内ですね。
千手観音と阿弥陀様を同時に拝める稀有な寺です。
御朱印も丁寧な手書きで頂きました。
庭が落ち着いた感じのお寺さんで、お堂の裏手に北条政子さんのお墓が安置されてます。
後ろのお山には以前は不動明王さんが彫られていたそうですが度重なる災害で今は面影が偲ばれる感じでした。
若い住職さんがとても快くお話ししてくださって楽しかったです。
大きな槇の木陰が心地よかったです。
安養院とは北条政子の法名。
大河ドラマ【鎌倉殿の13人】では小池栄子が演じていますね。
そんなゆかりがあるお寺を参拝してきました。
門を潜ると撮影不可でしたが、とてもこじんまりとした良いお寺でした。
御朱印もいただけて良かったです。
私の守護仏様が千手観音様ということを知り、是非とも参拝させて頂きたいと思い、いつでもお顔を拝見できるということで、こちらのお寺を訪れました。
拝観料は200円で入口のお賽銭箱に入れるので、もちろんお釣りは出ません。
小銭がない時は、本堂前の賽銭箱に納めるお布施込みと思って500円なり1000円なり、多めに入れれば良いのかなと勝手に思いました。
本堂前の少し開いた扉の奥に、いらっしゃいました阿弥陀様…。
そうなんです!こちらのお寺は2つのお寺が1つになったとかで、千手観音様だけでなく、阿弥陀様も御本尊としていらっしゃるのです!ありがたや〜。
煌々と金に輝く阿弥陀様が美しくテンションが上がりましたが、今日の真の目的は守護仏の千手観音様にご挨拶すること。
ただ、千手観音様が見当たらない?!どちらにいらっしゃるのかと背伸びをしながら本堂の中を見回しても見当たらない…と思った瞬間いやいやいらっしゃる!阿弥陀様のすぐ後ろに手観音様が。
阿弥陀様とは対称的で、その佇まいは厳かの一言。
突如現れたように思えてゾワゾワっと鳥肌が立ちました。
仏様に対して適切な表現ではありませんが、対称的なコントラストが何とも美しく、暫くは手を合わせるのも忘れ、見入ってしまいました。
また是非お参りさせて頂こうと思います。
ちなみに山門のすぐ脇に1、2台分の駐車スペースがあります。
ちょっと分かりづらいですが、写真を載せておきます。
坂東札所にしては、規模は、大きくありませんでした。
躑躅、マキ、百日紅(サルスベリ)は、見応えがありました。
御朱印は、営業色が、強く、少し😵!?----
たまたま観光案内ボランティアの方とお会いして、北条政子が源頼朝、源家の供養のために建てた由緒あるお寺だと聞きました。
こちらにも北条政子のお墓がありますが寿福寺のやぐらが本当のお墓だそうで、両方お参りしてねと。
御朱印も快く書いていただけました。
2021年3月26日参拝日本百観音巡礼、西国33所と秩父34所を終わって、最後の坂東33所を夫婦で巡っています。
第3番札所、安養院田代観音。
綺麗に整備されています。
北条政子関連のお寺です。
本堂の裏手に政子の墓と言われる宝鏡印塔がありますがこれはお墓ではなく供養塔です。
政子の墓はもうありません。
勝長寿院に葬られてしまったので。
坂東三十三観音の三番札所です。
鎌倉時代早くにできたため、札所の番号が鎌倉を中心に広がっていくことなど、御朱印頂くときにお話してくださいました。
観音様もよいお姿でした。
マキの木が立派です。
小さなお寺でしたが、手入れが行き届いており気品がありました。
境内は撮影禁止のため、正門の外から槙の木を撮りました。
風情のある境内でした。
拝観者も一人居ただけでした。
法要中でした。
坂東三十三箇所・三番札所。
コンパクトな落ち着いたお寺でした。
納経所は山門くぐって右。
駐車場は隣接。
なお、境内は撮影禁止。
拝観料必要です。
板東33の巡礼していてここのために三度躓いた。
納経時間に間に合わなくて打てなくて、それが三度も続いたからだ。
本殿の裏手に重要文化財が隠れています。
山門から中は撮影禁止になっています。
鎌倉駅から徒歩または逗子行きのバスで来ることができます。
坂東三十三観音の第三番札所、田代寺(長楽寺)です。
本尊である千手観音菩薩が輝いていました。
樹齢700年の槙の木には圧倒され、猛暑で相当の汗をかきましたが参拝して良かった☺(境内は撮影禁止)
坂東三十三観音の第三番札所。
長楽寺とありますが、これは既に鎌倉幕府滅亡時に焼失しており、合併を繰り返して現在は田代寺と呼ばれています。
グーグルマップでは長楽寺のほうを表示するんですねぇ。
なかなかシブいですね。
もしくは通称となっている田代観音で良いのではないかと思いますが。
巡礼地であり、本尊である千手観音菩薩がメインではありますが、こちらはやはり北条政子のお墓かあることでも有名です。
その政子が観音菩薩に祈願して源頼朝と結ばれた逸話があるそうですから、やっぱり主役は観音様です。
しっかり願掛けしましょう。
ツツジの季節には山門付近がとっても綺麗ですし、境内の樹齢700年の槙の木も立派です。
鎌倉駅からは少し歩きますが、ここにお参りに来ないと鎌倉をコンプリートしたとは言えませんよ!ご真言は「おん ばざら たらま きりく」御詠歌は「枯樹にも 花咲く誓ひ 田代寺 世を信綱の 跡ぞ久しき」
つつじがとても綺麗です。
咲き始めから2週間くらいは綺麗に咲いていたと思います。
北条政子が嘉禄元年(1225)に、夫である源頼朝の菩提を弔うため、願行上人を開山として前身となる長楽寺を創建したのが始まりとされます。
境内にある石造宝篋印塔には徳治3年(1308)の銘があり、鎌倉に現存する最も古い塔として国の重要文化財に指定されています。
有り難く、鎌倉三十三観音第3番の”千手大悲殿”と、鎌倉二十四地蔵第24番の”日限地蔵尊”の御朱印を頂きました。
北条政子さんが夫の源頼朝殿の菩提をともらう為に建立したお寺🙏源頼朝殿のお墓はないが本堂の真後ろに小さな北条政子さんのお墓と伝えられているお墓がある😊その隣には国の重要文化財に指定されている大きな浄土宗名越派の開祖の僧・尊観上人の石造宝篋印塔があり北条政子さんのお墓と良く間違える方もあり要注意⚠️特に必見なのが本堂内に安置されている仏像である💁u200d♂️日本では珍しい阿弥陀如来像の真後ろに1.75mの千手観音像が安置されていてまるで真後ろの観音さんを守るような雰囲気を感じて珍しかって必見です✨✨✨夫婦のような印象も感じるので良縁長寿のお寺としても人気がある🌸🌸🌸さらに坂東三十三観音霊場の3番札所でもある🙏本堂前には市の指定天然記念物に指定されているマキもあるので見逃さず💁u200d♂️ 💁u200d♂️本当にこじんまりとしたお寺です🌿🌿入場料はお寺の方に手渡しでなくて山門前にある賽銭箱に入れるタイプでシンプルなのでお気をつけて🦉
JR鎌倉駅東口より徒歩15分ほど。
別願寺よりすぐの場所にあります。
浄土宗のお寺。
北条政子が夫の源頼朝の冥福を祈り建てた笹目の長楽寺が前身と言われています。
安養院の名は政子の法名。
本堂には本尊阿弥陀如来像、千手観音像、北条政子像が安置されています。
入口でお賽銭箱に拝観料100円を入れて境内へ。
本堂向かい左手には鎌倉市天然記念物の樹齢700年を越える槙の巨木が優しくお迎えしてくれます。
境内は凜とした気の引き締まる空間です。
鎌倉三十三観音第三番札所。
ご朱印いただきました。
5月にはオオムラサキツツジが咲き誇る景観を楽しみにしています。
国指定重要文化財 安養院宝篋印塔つつじが綺麗なお寺です。
拝観料大人¥100。
坂東三十三ヵ所第三番。
(18/02/09)南無阿弥陀佛坂東三十三観音霊場 第3番札所「千手大悲殿」鎌倉三十三観音霊場 第3番札所「千手大悲殿」3種類の御朱印をいただきました。
(12/04/01)坂東三十三観音霊場 第3番札所「千手大悲殿」鎌倉三十三観音霊場 第3番札所「千手大悲殿」鎌倉二十四地蔵霊場 第24番札所「日限地蔵尊」3種類の御朱印をいただきました。
(10/09/19)坂東三十三観音霊場 第3番札所「千手大悲殿」御朱印をいただきました。
浄土宗の寺院。
本尊:阿弥陀如来、千手観音入場料:100円以上JR鎌倉駅より900m。
鎌倉30,31系統路線バス:名越バス停より70m。
坂東三十三観音霊場、鎌倉三十三観音霊場入場料が必要になります。
トイレがこじんまりとしていますが、綺麗に管理されていて、気持ちが良かったですね。
坂東観音霊場第三番の安養院にお詣りします。
安養院と言うのは源頼朝の正室、北条政子の法名(戒名)であり、その菩提寺も安養院と言うのです。
坂東札所には真言宗と天台宗のお寺が多く、浄土宗のお寺はここ1寺だけです。
札所本尊の千手観音さまは、当初、頼朝の家臣田代信綱が創建した田代観音堂に祀られていて、坂東第三番札所の田代観音さまとして信仰を集めていたのですが、その後安養院に移されたのです。
北条政子が頼朝と結ばれることを祈り、成就したのは、この観音さまの功徳であると伝えられることから「良縁観音さま」とも呼ばれ、古来女性信者の篤い信仰を受けてきました。
現在でも良縁を願って参詣する女性が多いそうです。
この寺は寺名からも分かるとおり北条政子とゆかりが深く、北条政子の墓とされる宝篋印塔や政子の木像などが収められています。
鎌倉駅から若宮大路を南に下り由比ガ浜大通りとの交差点を東に進みます。
やがて右側に癌封じで有名な上行寺と言う日蓮宗のお寺が見えれば、そのはす向かいが安養院です。
参道入口に「坂東第三番田代観音安養院」「浄土宗名越派根本霊場」の石柱が立っています。
鎌倉駅周辺の人混みがウソのように境内に人影はありません。
山門に置いてある箱に拝観料を入れ本堂に向かいます。
お線香をあげお賽銭を入れ、たどたどしく般若心経を唱えます。
正面を見ると金色に輝くご本尊の阿弥陀如来さまの坐像が拝見出来ます。
観音さまは、阿弥陀さまの真後ろに立たれていました。
掃除をしていた方に納経所を伺うと庫裡にあると言うので、庫裏に伺い、チャイムを押すと20代の若い僧侶がおいでになり墨書押印してくださいました。
帰りぎわに本堂の裏に回り、二基の宝篋印塔を拝見します。
苔むした塔に北条政子の数奇な運命を思います。
尼将軍として有名ですが、日本三大悪女の一人にされたりして誠に興味深い女性です。
後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒し権力奪還を図ろうとした承久の乱に際しては、御家人たちをまとめあげ、毅然として朝廷軍を迎撃します。
鎌倉方は頼朝・頼家・実朝の3人の将軍が続けて亡くなり御家人に動揺が広がった時期でしたので、上皇は院宣を出せば諸国の武士はみな朝廷側に付くと信じていました。
ところが政子の熱涙をふり絞る演説に感動した鎌倉方の武士は京都に向け電撃的な進軍を行い、朝廷軍を撃破してしまいます。
そして後鳥羽上皇は隠岐島に、順徳天皇は佐渡島に配流されてしまうのです。
この承久の乱は日本史上ただ1度だけの、朝廷が朝敵に完敗した戦とされています。
後の世の評判は様々ですが、北条政子はかつて例を見ない、凛とした心を持つ立派な女性だったと思います。
梅の季節も終わり、次は、ツツジを見に是非とも行きたいです。
鎌倉三十三観音の御朱印をいただきました。
ツツジを見たくなり、再度訪れました🙇ツツジが、満開でした❗鎌倉二十四地蔵尊の御朱印をいただきました。
いつも整備が行き届いていて、気分良く参拝できる寺。
特につつじの季節は手入れの 行き届いた大つつじが、見事に花を咲かせ立派。
入り口のお賽銭箱に参拝料を支払います。
紙の御朱印を頼んだら一言「ないです」とだけ言われ奥に戻られてしまいました。
境内が綺麗で石像が素敵です。
2016/04/24に参拝しました。
入口のツツジが安養院石碑裏側が少し咲き出しました。
本堂裏の「善導寺開山尊観上人」宝篋印塔の右側がツツジが満開でした。
境内の大槇の根元には、「ヤマシャクヤク」の白い花が咲き出していました。
2/25日に鎌倉二十四地蔵霊場の二十四番札所「日眼地蔵尊」で巡礼しました。
また、3/27には坂東観音霊場で巡礼しました。
田代寺は、何回来ても心落ち着くお寺です。
名前 |
安養院 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0467-22-0806 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
坂東三十三観音霊場巡礼にて参拝しました。
鎌倉駅から徒歩10分強のこぢんまりとしたお寺さんです。
境内は緑が多く落ち着きます。
大きな槙の木が印象的です。
感じの良い住職さまに御朱印をいただきました。
源頼朝ゆかりのこの安養院に源氏の敵であった藤原景清(平景清)の娘の墓があるのは興味深いところです。