すみません、お寺の評価はできませんよ。
日蓮宗のお寺で多福山一乗院大寳寺といいます。
御本尊は三宝祖師です。
南北朝から室町期にかけて、佐竹家十一代当主である佐竹義盛が出家して多福寺を建立しました。
文安元年(1444年)に一乗院日出上人によって再興されたお寺です。
境内には佐竹氏の守護神社である、多福明神社(大多福稲荷大明神)があります。
すみません、お寺の評価はできませんよ。
でも、閑静な住宅内の中にある、こじんまりしていて落ち着いたお寺です。
綺麗に整備されています。
なかなかこれ程綺麗なお寺さんはありません。
多福神社も綺麗に整備されていて案内板もしっかりあります。
しっかり拝んできました。
鎌倉で唯一海が見えるお寺です。
誰もいませんでした。
こじんまりとしたお寺でした。
日蓮宗のお寺です御朱印のみです御首題 南無妙法蓮華経も頂けると思います奥様の対応が優しくて良かったですきちんとした綺麗なお寺さんでした。
99.大宝寺アクセス:①鎌倉駅からバス(京浜急行バス30・31番系統)「名越」下車、5分。
鎌倉駅方面に戻り、「ローソン」の交差点を右折、直に左手にあります。
②鎌倉駅東口から徒歩15分。
境内地は「佐竹屋敷跡」と呼ばれる。
<経緯>・源義光(新羅三郎義光)は、永保3年(1083年)の「後三年の役」での戦勝は、日頃から信仰していた多福大明神の加護によるものとし、この地に多福神社を建てたと伝承される。
・その後、この地は源頼朝により、佐竹秀義へ与えられて屋敷を構え、代々佐竹氏の居館となった。
~源義光(新羅三郎義光)と佐竹氏の関係~・佐竹隆義・秀義は、源義光(新羅三郎義光)を祖に持ち、常陸国北部に基盤を持っていた。
・最初、頼朝の下に参陣せず、秀義は富士川の戦い直後に征伐され、奥州に落ちのびた。
・文治5年(1189年)に頼朝に帰順し、奥州合戦で武功を上げたため御家人となった。
・応永6年(1399年)に佐竹義盛は、若くして出家し多福寺を建立した。
一旦、廃寺(大町の八雲神社に合祀)となった後、文安元年(1444年)に一乗院日出上人(本覚寺の開山でもある)によって再興された。
その際、旧寺号を山号とし、多福山大宝寺と改名された。
・明応8年(1499年)に松葉ヶ谷妙法寺の日証上人により、八雲神社から多福神を再び境内に勧請する。
・見どころポイント:本堂 - 三宝祖師他に、新羅三郎源義光像、子育鬼子母神、出世大黒天神、日出上人像など。
宝篋印塔 - 境内に新羅三郎義光の供養塔。
・拝観時間:自由・拝 観 料:無料・御朱印:入手場所 境内寺務所。
値段 1件300円①「報仏之恩」の御朱印、②「如蓮華在水」の御朱印、③「南無妙法蓮華経」の御首題。
いつもお世話になっています。
障害者のことも考えて下さって有難い場所です。
境内は「佐竹屋敷跡」と伝わっています。
佐竹氏の遠祖にあたる源義光がこの地に居住し、その後、この地は源頼朝により佐竹秀義へ与えられて、代々佐竹氏の居館となったとのことです。
境内には、新羅三郎(源義光)の墓と伝わる石塔があります。
お寺の境内に 綺麗な神社が在ります。
本通りを曲がるところが分かりにくい。
静かな住宅街にあり、境内は神社がありきれいに整っている。
道に迷うことがあっても、通りがかりの人が次々に助けてくれる。
行ってみるべし。
Slider next the the main hall. Charming.
日蓮宗寺院。
境内に、緑が多く綺麗なお寺さんです。
大きな通りから、結構奥に入る為、訪れる人はそれほど多くない。
名前 |
大寳寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0467-22-2973 |
住所 |
|
関連サイト |
https://tesshow.jp/kanagawa/kamakura/temple_omachi_daiho.html |
評価 |
4.0 |
住宅街のなかにある小さなお寺で、境内に子供用の滑り台なんかもあって親近感湧きました。
御朱印や御首題の案内が何もなかったのですが、インターホンを押してお聞きしたら書いていただけました。