こじんまりしつつも立派な櫓と門でした。
城跡となっていますが、実際行ってみると、学校の門になってます(笑)
園部城の歴史1619年、外様大名の小出吉親が但馬国出石城より移封され園部藩が誕生します藩主の小出氏は外様大名でしたが明治維新を迎えるまで約250年にわたり一度も国替えがありませんでした無城主格である小出氏の居所は城ではなく陣屋と呼ばれ、園部陣屋には天守や櫓の建築も認められませんでした幕末動乱の中、京都に近いという園部の地理的状況もあり園部藩は幕府に新規築城を願い出ますが無城主格のため却下されます引き続き交渉を行った結果、徳川慶喜より内諾を得られますが直後に大政奉還となります改めて明治新政府より許可が下り櫓門3ヵ所、櫓5ヵ所が建てられ堀も造成されて園部陣屋は園部城へ生まれ変わりました。
バイク二人旅。
本物のお城跡はこっちみたいです(;^ω^)。
38みねちゃん。
桜がキレイでした。
ぼうっと散歩するにはいいのかも。
隣の亀岡市に在住ですが、存在すら知らなかったです。
サラリーマンを定年退職後小遣い稼ぎを兼ねてアルバイトしています、たまたま弁当をいただきに立ち寄って存在を知りました。
広くて停めやすい駐車場です。
高校の校内にあります。
歴史的建物は残っていますが、写真(左に門、右に櫓が写っている)のような写真は普通は撮れません。
あのアングルで撮るには園部高校の敷地に入らないといけないので、学校側にお願いする事になるかと思います。
あとは、桜の時期などには、夕方に学校主催の催しがあり、茶道部による野点などがあり、その時なら櫓のなかも見学させて頂けたりします。
園部城(そのべじょう)は、京都府南丹市にあった日本の城郭です。
園部城が日本の城郭史で最後の建築物となりました。
建造物群の一部は京都府の「暫定登録文化財」に登録されています。
小麦山(子向山)標高173.8mの東麓にある台地に三重櫓を最高地点が築かれました。
北側には園部川、西側に半田川を天然の堀として利用し、南側と東側に堀を巡らせ、もっとも外側の低地には2kmに渡り外堀を構えていました。
主要部分は、現在、京都府立園部高等学校となっています。
中世園部城と近世園部城と2つに時代に別けられます。
ただ、中世園部城に関しては情報が不足しています。
天守閣はなく、園部陣屋と呼ばれていましたが、小麦山には1868年に三層の小麦山櫓が建築されました。
三重櫓は、現存しません。
園部高校の門で使われているとは。
驚きでした。
園部城跡という評価だと高くならないかも知れない。
しかし、高校の正門がかつての城門という点では最強クラス。
今回、三十数年ぶりに城門の前に立った。
昔は周りが開発されてなく、もっと重厚に感じたなぁ。
校内にも杉の大木があったと記憶。
ベッドタウンの新設高校に通っていた身には羨ましかった。
今回もやっぱり羨ましかった。
生活指導の先生が、校門前で藩士の格好で槍持って挨拶してたら面白いんだけどってのは冗談です。
「お主!スカートが短すぎるではないかっ!」
駅からだと少し歩きます山陰道を歩くルートではなく京都聖カタリナ高方向からの方が歩きやすいです。
隣にある園部高校や市の複合施設がお城🏯😊駐車場も広いので車を止めてゆっくりと散策出来ます🍁
学校の敷地内にあるので外部からしか見ることはできませんが、こじんまりしつつも立派な櫓と門でした。
今は学校に成っていて、見学出来ませんけど隣の公園にナンチャッテ城が立っているのでそちらは中に入れます。
エレベーター完備ですよ~(笑。
学校内にあるため場所が今ひとつわからない。
ここは、高校があり卒業しました。
明治になってから城になった特異な経歴を持つ城。
小さいが立派に櫓と門が現存である。
名前 |
園部城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.4 |
日本最後で建築された城ということで、歴史的なものは浅いですが、気軽に見られる城ということがいい点です。
カワセミの巨大像も見どころです。