川沿いの細い道沿いにあります。
漫画家の江川達也さんが2.5万分の1地形図を元に、旧街道国道1号線へ、善照寺砦から、この中島砦を、通り一筋の小高いところ、すなわち昔の、沼地の中を走る道を想定し、信長軍はこの道を通り、義元軍へ正面突破を挑んだ、という説を読んで、一度訪れました。
現在は閑静な住宅街の個人宅の中の小さな碑文が往時のものを残す唯一のものとなっています。
歴史マニアなら、善照寺砦と伝桶狭間古戦場跡、桶狭間古戦場公園と共にセットで訪れてもよいと思います。
程よい散歩になります。
笑。
桶狭間の戦いの時信長が事前に拠った史上名高い砦跡です。
川沿いの民家に挟まれた空き地に砦跡がありますが、入口に鉄製の門があり入るには少し勇気が必要でした。
砦跡の石碑は道路沿いからは樹木に遮られて見えません。
敷地の中に入って左手に建っています。
1559永録2年桶狭間の合戦時の織田氏の拠点のひとつ楽田城(現・犬山市)城主、織田家家臣 梶川平九郎宗玄が子 梶川高秀・一秀・秀盛らが城代・守将を勤める1560永録3年此処より織田信長率いる織田軍が今川軍に突撃し『桶狭間の合戦』に勝利した。
三角州の地形に砦跡を感じなければ、
中島砦は扇川二股の付け根にありました❗私有地ですが入っていいそうです👌名鉄鳴海駅の近くです‼️
辺りはなんでもない場所。
思い入れの強さで見え方も変わってくる。
びっくりするぐらい、これだけな感じです。
が、これだけでも残して貰えているのに感謝です❗
桶狭間の戦いツアー9跡形もない感じです。
桶狭間の戦いの位置関係を知るには、行かなくてはいけないところ。
ここから、織田信長は桶狭間に向かいました。
一度近いので 行こう。
川沿いの細い道沿いにあります。
車で行くのは、やめておいた方がいいです。
東側の東海道のコインパーキングに停めて歩いた方がいいです。
私有地ですが、地権者のご厚意で石碑のそばまで近づけます。
ありがとうございます。
鳴海駅より歩いて訪問しました。
川沿いにあり、まあり目立ちません。
看板があり、わかりました。
碑のある場所は私有地で、自由に見て良いとの看板とともに閉門されてもいます。
ここから信長は、川沿いを伝い義元本陣に近づいたらしい。
名前 |
中島砦 |
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ジャンル |
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電話番号 |
052-625-3878 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.3 |
信長が今川義元の侵攻に備えて築いた砦、とのこと。
住宅地の中に立派な城址碑が立っていますが遺構は残っていません。