日本医学会、日本医師会が設置した碑である。
1959年(昭和34年)3月4日、回向院(えこいん)の壁に日本医史学会、日本医学会、日本医師会が設置した碑である。
小塚原刑場の刑死者の腑分け(解剖)に立ち会った杉田玄白、前野良沢、中川淳庵等がオランダの医学書「ターヘル・アナトミア」に記載された図と比べてその正確さに驚嘆し、苦労して翻訳し、1774年(安永3年)8月、「解体新書」全5巻を出版した。
以前は本堂裏に観臓記念碑があったのだが戦災のため被害を受けたので、解体新書の扉絵をかたどったレリーフをこの場所に移したものである。
行く予定はしていなかったのですが、何故か惹かれるようにして訪れました。
郷土福井県の偉人杉田玄白が医学の発展のため腑分をし、また日本の将来を憂いながら亡くなった橋本左内の墓前に手を合わせてきました。
江戸時代、杉田玄白ら蘭学医師の解剖や解体新書翻訳完成の歴史から、この地は近代医学発祥とされています。
名前 |
観臓記念碑 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3801-6962 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.city.arakawa.tokyo.jp/a022/shisetsuannai/jinja/minamisenju004.html |
評価 |
4.3 |
南千住駅には何度も来ているのですが、ここのクチコミで教えてもらわなければこの場所に来ることはなかったでしょう。
今日が天気の良い日でよかったです。