目黒に入る近道として重要な交通路であった。
目黒区の坂道。
東急中目黒駅、JR恵比寿駅から徒歩10分ほど、東京共済病院の裏手の閑静な住宅街にあります。
坂の碑には「この辺りの地名であった「別所」が由来といわれる。
別所坂は古くから麻布方面から目黒へ入る道としてにぎわい、かつて坂の上にあった築山「新富士」は浮世絵にも描かれた江戸の名所であった。
」とあります。
とても急な坂で、坂の上は庚申塔と富士塚跡があり、突き当たりは階段になっています。
かつては富士山が眺められたとか。
都内の名だたる名坂の中で多分最も勾配がキツイのではと思います。
車両入れません。
坂のてっぺんには公園。
中目黒方面の眺めが素晴らしい。
好きな坂、5つに入ります。
この辺りの地名であった「別所」が由来です。
別所坂は古くから麻布方面から目黒へ入る道としてにぎわい、かって坂の上にあった築山「新富士」 は浮世絵にも描かれた江戸の名所でした。
三田用水も流れてましたよ。
結構急坂だよね❗
住宅地の中の勾配ややきつめ、先のみえないうねりのあるカーブ坂。
昔から麻布と目黒を結ぶ近道ルートの切り通しとして存在していたそうです。
高い建物が近年建ち並び、冨士見の名所としてはランク外になったけど、坂上からの街の眺めはちょっと人に教えたくなる気持ちになります。
坂の由来については、郷土目黒誌によると「この坂を下ったところに別所と呼ばれた地名のところがあったからである」と記されており、かつては江戸の人びとが麻布辺りから行楽の地、目黒に入る近道として重要な交通路であった。
また、坂上は富士のながめの良いところで、えぞ・千島の探検で知られた近藤重蔵が1819年、新富士・近藤富士などと呼ばれた築山を造り、目黒元富士とともに江戸名所のひとつとして、行楽客に親しまれていたと言われている。
昨日,初めて登った時は,かなりハードだったが… 今日は,そうでも無かった🙋東京共済病院から恵比寿駅への近道… 又,登ります✌️ * * * * *けっこうキツイ坂ですねぇ~😰
見つけづらい所にありますが、登りたくなる坂です。
坂の途中に階段があるため、車両は通れません。
また、坂の途中から児童公園に向かう長い階段があります。
児童公園からの眺めは最高です。
中目黒駅から徒歩で10分弱の所で、目黒川の谷面である急斜面を、切り通ししたと云う。
目黒川から上ると折れ曲がった長い急坂である。
坂上からは今も冬場には富士山が見えるらしい。
東京都目黒区中目黒一丁目 二丁目から、渋谷区との境辺りまで。
坂を下りきった辺りの地を昔は別所と呼んだ為ついた名。
中目黒から恵比寿への近道。
しかーし、路地に入ったところに急坂出現。
歩いて登りきると息切れしそう。
下りは楽と思いきや意外と普段使わない筋肉で踏ん張りながら降りるのでつかれます。
住宅街なのであまり眺望は望めませんが、昔は景色が綺麗だったんだろうなー。
2019年3月21日訪問。
我が街市川行徳地区(国府台側ではありませんよ)では考えられないような急な坂道。
この上が山の手っていうのかな?失礼しました。
健康によさそう。
自転車で下れるが重心をかなり後ろにしないと危険。
富士山は見えない。
登りの最後が階段なので自動車は通れない。
結構急な坂です。
旧山手通りの代官山交番前交差点から南西に入ると、緑陰の中を西へやや蛇行しながら下る目切り坂があります。
目黒区青葉台一丁目と目黒一丁目の境界で、北西側の上村坂と南側の新道坂しんどうさか(駒沢通り)の中間に位置します。
目切り坂下に目黒区教育委員会設置による木製の角柱が立っています。
この角柱のすぐ脇に「めぐろ風景、目黒区みどりの散歩道、目切坂と旧鎌倉街道」と題された案内板があります。
江戸時代、近くに石臼の目切りをする腕の良い石工が住んでいたことから、この名前がついたと説明されています。
石は目と呼ばれる部分に刃物を当てて打つと容易に割れることから、目切りと呼ばれました。
更にこの道は鎌倉幕府を開いた源頼朝が、鎌倉で変事の際に援軍が鎌倉に急行できるようにと作った鎌倉街道の1つで「いざ鎌倉へ」と鎧かぶとの武者たちが馬を飛ばしたのは800年も昔の話だ、と説明されています。
目切り坂上には目黒区教育委員会設置の「目黒元富士跡」の標識と「富士信仰と元富士」の案内板があり、その後方にあるキングホームズ代官山の場所には、江戸時代に小型の富士「元富士」が築かれていました。
江戸時代に富士山を対象とした民間信仰が広まり、人々が集まって富士講を作りました。
富士講の人々は身近なところに富士山に似せた小型の山を築き、山頂に小さな石のほこらを設けました。
キングホームズ代官山の敷地にあった「元富士」は1812年に上目黒の富士講の人々が築いたもので、高さが12mありました。
その後1819年に新道坂(駒沢通り)の更に南東側の別所坂上に新しく富士が築かれ、それを「新富士」と呼ぶようになり、こちらの富士は「元富士」と呼ばれるようになりました。
「元富士」は1878年に取りこわされ、石祠は1943年目黒区大橋の上目黒氷川神社に移されました。
かつて別所坂の頂上付近には、江戸時代の北方探検で知られる近藤重蔵の別宅がありました。
彼は富士講の人々の手を借りて邸内に富士山を模した山「新富士」を築ぎました。
この築山は安藤広重の「名所江戸百景」にも「目黒新富士」として描かれています。
但し現在の別所坂から富士山は見えません。
中目黒台地は江戸幕府の砲薬製造所、明治政府の火薬製造所、昭和に入っての海軍技術研究所を経て、現在は防衛省艦艇装備研究所となっています。
東京共済病院もかつての海軍共済組合病院でした。
名前 |
別所坂 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.meguro.tokyo.jp/gyosei/shokai_rekishi/konnamachi/michi/saka/tobu/bessho.html |
評価 |
3.7 |
かなりきつい坂。
中目黒にはこんなところがあるんだな、と驚く。
中目黒から恵比寿に散歩するのに、こういう変化があるとちょっと楽しい。