1590年初めて江戸に入国しました。
石垣の素晴らしさに感動、番所の建物も物凄く歴史と風情を感じさせます。
我が国を代表する史跡ですね。
本丸後の手前にある芝生も美しく、都会のど真ん中のオアシス的な場所です。
必見の価値アリです。
東京のど真ん中にこんな静かな空間があることが嬉しい。
歴史好きや大河ドラマ好きなら一度は訪れてほしいところ。
徳川家ってやっぱりとんでもない権力を持っていたんだなぁと改めて思わせてくれます。
休日の散歩コースとしてもオススメ。
入れる時間と出る時間は決まっているので時間の確認は必須です。
都会の真ん中なのにゆったりとした時間が過ごせます。
色々な草木や鳥、虫も多いので、家族連れにもよさそうです。
かつての本丸も見事な自然公園に。
大奥や忠臣蔵等の歴史もこの地にあり。
四季を彩る草木が植えられており、ウォーキングや散歩にも良い場所かと。
江戸城は太田道灌が築き、徳川家康が江戸に入ったあとに居城とし、その後に徳川幕府が開かれてからは天下普請の拡張工事が始まりました。
元和8年(1622年)に高さ60メートルの壮大な天守が完成しましたが、明暦3年(1657年)の明暦の大火により天守は焼け落ちてしまいました。
江戸城跡各所の石垣には焼かれて黒ずんだ痕が今も生々しく残っています。
その後、天下泰平を迎えたこともあり、戦国時代に櫓として機能した天守はは必要で無駄遣いだと、天守は再建されることなく、現在まで天守台だけが残されています。
現在天守台は皇居東御苑のなかの観光スポットとなり、ベンチが置かれています。
北側には武道館の屋根が見えます。
南側には広大な本丸のあとが広がります。
東側には大手町の超高層ビル群が並び、江戸城跡と近代のシンボルとの対照が面白い場所です。
本丸跡は現在は皇居東御苑の中心地で芝生が植えられて天気の良い日には寝そべる人も少なくありません。
時間がゆっくりと流れる場所です。
この広大な敷地にあった本丸御殿はさぞかし巨大な御殿だったのだろうなと思えます。
江戸城の天守閣の模型展示をしてたので見に行きました。
コロナであんまり広報してないのか、人はまばらでした。
遅ればせながら紅葉が見頃で、よかったです。
広々とした芝生が一面に広がってのんびり過ごせます。
江戸時代、徳川将軍家の居住し政務を行った場所。
本丸御殿の右側と中央が政務を行い、天守閣に近い方つまり左側が大奥とされています。
将軍を補佐する大老、老中、若年寄は月番制即ち月替わりで当直勤務があり、それ以外にも将軍の近衛隊に奏者番(そうじゃばんと読む。
1万~2万石までの普代大名から選抜・ほとんどが寺社仏閣を取り仕切る寺社奉行職と兼務)、大番頭(おおばんがしら)、大目付、目付、町奉行、勘定奉行、普請奉行の他各奉行、小姓がいました。
後は番方と言って、本丸を警護、警備する侍達が3交代制で当直に当たっていました。
1日将軍以外に本丸を出入りする男性の数は5000人。
大奥の女性は1000人で計6000人は出入りしていたと言われています。
アクセス天守閣の方の記述を参照してください。
会社が近くなので昼休みによく散歩しています。
季節ごとに咲く花は美しく、毎日散歩していても飽きません。
都会のオアシスですね。
東京都のど真ん中とは思えない静寂を味わえて、皇居・北の丸公園の両方とも散歩コースとしてとてもオススメです。
なお、月曜日と金曜日は皇居内への立ち入りが出来ませんのでご注意ください。
大嘗祭を行った大嘗宮の一般公開が行われたので、行って来ました。
ここは、通常でも一般公開されている皇居東御苑の本丸地区にあります。
ここで大嘗祭の儀式が行われたのかと思うと、神々しく感じました。
建物は、派手な装飾などはなく、質素なものだなとも思いました。
しかし、それが逆に神聖さを高めているのかなとも思いました。
次の大嘗宮も観られることを願いたいです。
まあ凄い人出。
平日で途中まではスイスイ進んでいたのが、大嘗宮が見えたらそこから一時間かかる。
いつもは閑散としている本丸跡に立派なものを建てたもので。
出口は東京駅に近い大手門は信号に阻まれて30分行列するというから乾門から出た。
平川門からも出られる。
暴れん坊将軍気分で楽しんできました。
どんな天守閣だったんだろう?
皇居は旧江戸城で徳川家康が、1590年初めて江戸に入国しました。
藁葺き屋根の家が百ほどの大湿地帯に過ぎませんでした。
徳川家康は後世にもっとも影響を与える日本人です。
入国当時湿地が広がり農業に適さない寂れた場所、いかにも粗相で町屋など茅葺きの家百ばかり、ここもかしこも潮入りの芦原の寒村に過ぎなかったという。
徳川家康は天下普請の下、外様大名に江戸城拡大改築工事、江戸の埋め立て拡張工事をやらせています。
東京という都市が比較的うまく発展してきたのは、この都市を最初に構想した徳川家康の先見性、大胆な構想力と細やかな配慮によるところが大きい。
世界の様々な都市の歴史を辿ると、初期設計で誤ったために、発展とともに物流や衛生などの面で大きな困難に見舞われ、場当たり的な対策もやがて手づまりになり、ついには別に都市を作り直し、以前の街並みが半ば放棄されてしまうような事例も多々ある(例えばエディンバラなどがそうである)。
江戸-東京がそういう展開を免れたのは、徳川家康の基本構想が優れていたおかげである。
地形を見極めた上で、場所を決定する能力も高かった。
ここには戦国時代の武将として数々の戦によって育まれた地理に対する洞察力がある。
江戸城本丸跡 徳川将軍家大奥の跡。
平成の大嘗祭はここ江戸城本丸跡に大嘗宮を建て平成2年11月22日、23日に天皇陛下御親祭のもと斎行された。
東京で初めての大嘗祭。
今回の令和の大嘗祭の大嘗宮も同じ場所に建てられている。
名前 |
江戸城本丸跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3213-1111 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.4 |
本丸があった所に登れます。
スロープもあって緩やかなので、年配の方でも大丈夫かと思います。
本丸にしては結構床面積が狭い、という印象。
周囲はちょっとした芝の広場があるので、ピクニックにも良いかも。