運慶作と伝わる大黒天の木像があります。
階段を上がりきった所の枝垂れ桜が見事です。
大黒殿があり、大黒様がいます御朱印は、300円。
寺伝によれば大同24年(807) 僧最澄の創建と伝えられ、天台宗でしたが、文明11年 (1479) 日近上人の時顕本法華宗に改宗、西福寺と改め、昭和22年再び最福寺と改めた。
酒井定隆の檀那寺で、その守護神が日吉神社であったため、社務一切は本寺で司どった。
天正19年 (1591) には徳川家康から寺領30石を寄せられ、上十ヶ寺の一つであ る。本堂は宝永5年 (1708) 改修されたもので、内陣は荘厳華麗で、数多くの貴重な宝物を有している。
【現地案内板より抜粋】・絹本著色天台大師像 (県指定有形文化財 絵画 )・鰐口(市指定有形文化財・工芸品)・多羅葉(市指定記念物・天然記念物)・釈尊入滅涅槃図 (市指定有形文化財絵画)・大黒天像 (市指定有形文化財・彫刻)などの文化財を所有している。
広大な敷地内には、数多くの見どころがあり、上から見下ろす八鶴湖も絶景。
徳川家康公も訪れたとされている名刹ですね。
手入れされている建物や境内ですが。
先日の台風被害を受けたらしいですね。
この辺りで5カ国語対応の御籤は聞いた事がありません。
留学生とかが来るんですかね。
令和4年の豆撒きは中止とありました。
北総代表する古刹。
かつて家康が鷹狩の雨宿りのおりに住職(日善上人)に出会い「なんか話し合うわ~!友だちなろう」みたいな関係から始まり豊臣との決戦の相談相手に。
家康は上人を呼び「実は決戦は気が重い」と吐露。
しかし上人に「何言うてますの、滅ぼすなら今でしょ!」と背中を押されて大坂冬の陣が決行された、ようだ。
(相当要約したが)豊臣方にしてみればトンデモ和尚ですな(笑)。
しかしそのおかげか否か、山野にして立派な境内で荘厳でパワースポットを感じる。
草木趣味よく、可愛らしい和傘や住職の和歌が添えられており和む。
望む湖の景色もよい。
2023年大河ドラマ「どうする家康」でも使われて欲しい話。
八鶴湖の側にある古刹です。
今から407年前の1614年徳川家康と最福寺の住職日善上人は駿府城で豊臣方に関する密談を行いました😺豊臣を攻めることに戸惑う家康に日善上人は天下泰平のため民とこの国の将来のために豊臣に攻めることを諭したそう。
意を決した徳川家康は数日後に諸大名に命じて大阪冬の陣を決行しました。
戦に敗れた豊臣は秀頼と淀君が自害血脈が途絶えて歴史の表舞台から姿を消します😺最福寺の住職 日善上人は家康と共に歴史を動かしたキーマンなのですね😺
徳川家康にまつわる由緒正しいお寺ですが、運慶作と伝わる大黒天の木像があります。
悠久の歴史を感じさせてくれます。
ここでも本年の東金市議会議員選挙や、その後の子供未来党の選挙がうまくいく様に絵馬を奉納して来ました。
ここ東金の地に歴史の1ページを刻みます。
「最福寺」は日蓮宗の寺院です。
東金の裏山的立地にある八鶴湖には、かつて東金御殿と呼ばれた徳川家康の鷹狩り専用の別荘があったそうです。
今でも湖の周りには東金城址や古寺等が点在し、その歴史の深さを感じます。
ちなみに最福寺は八鶴湖を見下ろす高台に位置し、一番高い場所にある鐘楼からは東金市街も見下ろせます。
御殿があった事もあり、寺には徳川家康絡みの逸話も残っています。
コチラの住職だった日善上人は家康に大阪の陣を決断させたとの事です。
寺宝も多く、境内には見事な庭園や切られ与三郎の墓等もあります。
重要文化財もある山上のお寺。
切られ与三郎の墓、見つけられなかった💧
徳川家康公も愛した寺。
鷹狩りの際に当時の住職と深い関係にあったとされ寺の参道には双方の銅像があります。
お寺の墓地には有名な歴史的人物の墓や慰霊碑があります。
毎年節分の日には東金市民に限らず色々な所から豆まきイベントを楽しみにされている方が集まります。
市長も参列して豆まきが行われます。
東金市民のシンボル的な寺である。
20/05/02参拝。
最澄が天台宗の寺として開山し、1479年、法華宗に改宗し、戦前、日蓮宗に合流したが、現在は日蓮宗系単立寺院となっている。
本堂への途中に、鷹狩りに来た徳川家康が1614年、日善上人と対談し、大阪攻めの意思を固めたとされる様子を示した像がある。
大黒堂に運慶作と伝わる大黒さまが祀られ、その堂前から八鶴湖が一望できる。
桜の名所として八鶴湖と共に有名ですがまだ早かったです。
最福寺に一本だけ満開の桜がありました。
1月にしては・のどかな平日でしたので散策をする人は少なかったのですが・空気がピンと張りつめていて清々しい気持ちになれました。
春の桜の季節には〔樹齢100年の桜を観たいですね〕
クルマは隣の観光駐車場を利用しました。
境内非常に広く、見応えあります。
当寺院含めて八鶴湖周辺は歴史の風情漂うすばらしい景観であると感じます。
安国山最福寺は、大同2年(807)に伝教大師最澄により天台宗の寺院として創設されました。
しかし文明11年(1479)、京都妙満寺十世日遵上人の弘教により、日蓮宗に改宗されたおり最澄の最を改め最福寺から西福寺となりました。
戦後昔の最福寺に戻しました。
日蓮宗はその後、顕本法華宗が独立し、にし福寺を含む一部は単立寺院となっています。
「東金」の由来…最福寺の背後のにある山嶺が鴇(トキ)の頭の形に似ていることから鴇ヶ嶺(トキガミネ)と呼ばれるようになり、やがてトウガネに転訛し東鐘〜東金と言うようになったと言われています。
慶長19年(1614)、徳川家康がこの地を訪れた際に東金としたという説もあるようです。
*畏れ多くも、寺社仏閣を評価する傲慢さは持ち合わせていないので、所感のみを記します。
☆当寺は風光明媚な八鶴湖を足元に、遠くは東金市内を一望する高台に位置する東金を代表する古刹です。
折しも、4月八日は釈迦牟尼世尊の降誕会(花まつり)にて、甘茶を誕生仏に濯ぎ、みずからも頂く慣わしの日です。
東金市の古刹の一つ。
日蓮宗系の単立寺院。
元は天台宗、その後、顕本法華宗へ改宗し現在に至る。
境内を散策すると、その由緒・荘厳さを体感できる、とても素晴らしい寺院。
名前 |
最福寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0475-52-2321 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
立派な本堂で見応えあります。
手入れも行き届いてます。
3月23日訪問でしたが、枝垂れ桜が見頃でした。