三重県で唯一現存する城郭建造物として県史跡に指定さ...
旧東海道の亀山宿にある亀山城跡。
櫓の一部は再建されてます。
町自体も東海道u0026城下町の面影を残していて、江戸時代の雰囲気を味わえます🌱
三重県で唯一現存する城郭建造物として県史跡に指定された復元の櫓です。
ここにあった伊勢亀山城は、丹波亀山城(現・京都府亀岡市)の破却命令の際、伊勢亀山城と取り違えて、解体されたという、なんとも信じ難い勿体ない歴史を有しています。
内部も無料で見学できました。
残存しているものが、あまりなかったです。
石垣が立派でした。
近くに大きな公園もあり、子どもが楽しめる感じです。
◆令和4年4月初訪問バイクツーリングの途中に立ち寄りました。
天守閣はなく、櫓だけ現存してました。
無料で内部見学が可能でした。
直ぐ横にはSLが展示して有りました。
グランド横の石垣間近から櫓を見上げるながら、縄張りをイメージする方法で楽しみました。
現存のままで残っている遺構です。
中の見学ができ見応えはあります。
2021年4月2日夜桜が綺麗です。
✨お城の御朱印販売中✨こちらに伊勢亀山城・亀山宿のパンフレットがあるので、是非もらって下さいねー。
明治6年(1873)の廃城令により、城内の建造物は殆んど取り壊され、堀も埋め立てられ‥現在は多聞櫓(やぐら)・石垣・土居・堀の一部のみが残されとる亀山城。
亀山城は天正18年(1590)岡本宗憲が築城しました。
寛永9年(1632)三宅康盛の代に天守が下ろされ※正保年間(1644~1648)本多俊次が城主の時に天守跡に現在の多門櫓が建てられました。
安土桃山時代やんね。
平屋建白壁の塗込で屋根は入母屋造り、東西北の三方に破風があり、平時は武器庫として利用しておったんやて。
三重県内に唯一現存する城郭建造物として、昭和28年に県史跡に指定され、特に桜や積雪の頃は野趣にあふれ、高石垣の上にそびえる多門櫓は今も往時と変わらぬ風情を残しとります。
※丹波亀山城(京都府亀岡市)の天守を解体するよう幕府から命じられた出雲松江城主堀尾忠晴が、間違っちゃって‥伊勢亀山城の天守を取り壊してしまったと、【九九五集】@大庄屋打田権四郎昌克/編 に書いてあるようやわ。
□聖地・ロケ地★★★・長編小説【暗夜行路】/志賀直哉(1883~1971)‥亀山駅から亀山城跡などを巡った情景の描写があります。
・2006年NHK大河ドラマ【功名が辻】で、後藤吉兵衛(武田鉄矢)が戦死した亀山城跡。
□アクセス★★★伊勢亀山城・亀山宿中心周辺は、JR亀山駅より徒歩5~15分圏内です。
車は東名阪道亀山ICより国道1号線経由で約5km15分くらい。
・伊勢亀山城/確か亀山公園に無料駐車場🅿️がありました。
・亀山宿/ここに車停めるな❗触るな危険的な爺さんは見かけましたが、⚠️道の駅のような整備された無料駐車場は見当たりませんでした。
施設が無料見学・自由散策できることが何よりの魅力です。
伊勢亀山城は、伊勢国鈴鹿郡亀山(三重県亀山市)にあった伊勢亀山藩の居城です。
現存する遺構が亀山城多門櫓です。
松江藩主・堀尾忠晴が、丹波亀山城と勘違いして天守を1632年に解体したため、天守は再建されず、1644年~1647年に天守台に多聞櫓が築かれました。
実際には、現存しない三重櫓が天守の代わりになりました。
1632年、松江藩主・堀尾忠晴(ほりおただはる)は、幕府に丹波亀山城(京都府亀岡市)の天守を破却するように命じられました。
ただ、勘違いして、伊勢亀山城の天守を解体するという大失態を犯してしまいました。
このため、天守解体後の天守台に建てられたのが、多聞櫓です。
現存する多門櫓は江戸時代後期の再建のもので、三重県の文化財に指定されています。
多聞櫓は、防火を考慮した白漆喰塗籠、長屋式の建築物です。
三重県下で唯一、明治時代迄に築かれた城郭建築で、明治以降に下見板が張られていました。
近年の「平成の大修理」で江戸時代末期の姿へと復原されました。
多聞櫓が建築されたのは、三河西尾藩から移封となった本多俊次の時代です。
以後、旧東海道沿いの要衝にあるため、板倉家や石川家など譜代大名の居城となりました。
多聞櫓が天守台に築かれましたが、実質的な天守となった三重櫓や本丸には将軍や皇室の宿泊所である本丸御殿(遍照寺に移転)が建ち、二の丸に、藩主の居館である二の丸居屋敷があったので、天守の役割は必要なくなりました。
多聞櫓は、実際には、物置(倉庫、武器庫)等として使われていた模様です。
天守台の石垣は築城からのもので、転用石も見られます。
多聞櫓周辺の亀山公園は往時の本丸、西出丸跡で現在の池は当時の堀の一部です。
亀山市役所の建つ場所が二の丸にあたります。
大手門跡は江ヶ室交番前交差点近くにあり、東丸町がかつての東三の丸です。
他にも、遺構の場所の標識があり、往時の面影を伺い知ることができます。
丹波亀山城と間違われ、天守が解体されてしまった不運な城。
亀山城といえば、ここ三重県の亀山城と京都府の丹波亀山城の2城が有名。
こちらの亀山城(亀山市)は天正18年(1590)岡本宗憲が築城しました。
一国一城令により、丹波亀山城の天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴がまちがってここ伊勢亀山城の天守を取り壊してしまった寛永9年(1633)という逸話があります。
正保年間(1644~1648)本多俊次が城主の時に天守を失った天守台に現在の多門櫓が建てられました。
亀山城跡では、お城の御朱印を販売中。
伊勢亀山城跡多聞櫓東海道の宿場町亀山にある亀山城跡には三重県で唯一の現存城郭建造物である多聞櫓が残っており、三重県指定史跡になっています。
平成18年に二の丸帯曲輪を復元し、平成25年に多聞櫓の修復工事で板張だったものが漆喰壁に修復しなおされています。
桜の季節は綺麗でしょう。
2020年2月登城。
櫓は土曜日曜日は内部見学が無料で出来ます。
見学に要する時間は数分程度の小さな展示ですが、そこからの眺めは本当に素晴らしい。
係員の方も丁寧で非常に気持ち良い印象がありました。
表に見事な石垣が残って裏には高い土塁が残っている。
相当な広さがある。
現在城跡は公園、学校、役所になっており、唯一残った建物です。
中はがらんとしており、城の略歴や修理した際の写真、壁の模型、放火された床と柱等が展示してありました。
石垣が立派です。
多門櫓は休日には内部公開されています。
改装中で足場とかあって残念でしたが?良い所です😀公園も広く子供が楽しく遊べるね👍️😀
観るところすくないです。
春はサクラがきれいです。
石垣が良いです♪往時の建造物は多聞櫓が残っていて、内部に入ることができます。
櫓の下の石垣がかなり高いもので驚く。
これが地震で崩れなかった説明を聞いてさらに驚く。
公園内には「三重櫓跡」などと看板が出ていたが、その痕跡はいくら歩いても発見できなかった。
石垣は立派だか何も無い。
石垣はまぁまぁ、お城を構築していた周辺の櫓や門はとっくに無いので、お城を見に来るのでしたら他の場所を推薦します。
ちょっと歩きますが周囲の公園は小さい場所から大きい場所まであって自由度は高いですよ。
さくらまつりも開催されると聞いていたので、期待して行ったのですが、城跡に桜の木々が並ぶエリアは、意外と “こじんまり” していました。
私の見方が、悪いのでしょうか・・・。
周辺の “山手?” のエリア全体的に見れば、桜はたくさん植えられているようですが。
駐車場は、理由はわかりませんが、私が行った日は、平日の午前中でも、ほば満車でした。
亀山には何度も出かけていますが、亀山城の公園には初めて訪れました。
真っ白な綺麗な城跡です❗
小さいと思いきや、意外と見応えあり!復元櫓の中の展示はこじんまりとしてますが、無料です。
名前 |
亀山城 多聞櫓 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0595-96-1218 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金] 9:00~20:00 [土日] 定休日 |
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
建物の中には、入れませんが、お城はありました。