第九十八代長慶天皇の陵。
本当に即位された天皇なのか、本当に此処が長慶天皇陵なのか謎多き御陵。
青森市や弘前市に始まり鳥取市や東温市迄全国に20ヵ所以上の墓所があり、流浪の天皇とも言われています。
第98代(南朝3代)長慶天皇を宮内庁が歴代天皇であると治定したのが1924年(大正15年)、正式に天皇陵であるとされたのも1944年(昭和19年)になってからです。
元々此の地に天皇の皇子である承朝王が長慶天皇を弔う為に鹿寿院を建立されたようですが、長らく廃院跡だったようですが、明治大正期から続く国威発揚の為に御陵として批准されたのでしょう。
南朝の天皇の御陵が京都の嵯峨にあることに驚き、まだ、御陵が以外と広いことにも驚きました。
渡月橋から数分の場所ですが、ここでは、一人も見かけませんでした。
被葬者:第98代・長慶天皇宮内庁により、第98代・長慶天皇の陵と治定されています。
長慶天皇は室町時代、南北朝時代を生きた方で、父は第97代・後村上天皇、母は嘉喜門院です。
拝:2020/07/25|20/10/23
治定される以前は下嵯峨陵墓参考地と呼ばれ、昭和19年に治定されました。
陵形は円丘で隣接する承朝墓よりも一回り大きいです。
宮内庁書陵部の陵墓地形図集成によると8136.89㎡と記されています。
第九十八代長慶天皇の陵。
静かで美しい霊us。
(原文)寧靜美麗的陵墓。
第98代(生没 1343年~1394年 52歳 在位 16年間)。
南朝第3代天皇であるが、実際に即位したか不明であり、大正15年に勅令発布によって即位が公認された。
長慶天皇(1343-94) は, 南北朝期の第98代天皇(在位:1368-83)で, 後醍醐(陵は吉野), 後村上(同 河内長野) に次ぐ南朝第3代天皇。
南朝最後となる*後亀山天皇の兄。
-(*北朝擁護の足利義満が提示した講和条件を受諾し, 北朝 後小松天皇に三種の神器を譲り退位) 2017.3.4
住宅地の中にありますが規模が大きい御陵です。
嵐山の住宅街の中にある広大な陵墓、日も暮れてから訪れたせいか、管理事務所のようなものはあるが人はいない。
北側は東からも西からも入れるが南側から入れる雰囲気はない。
西側に陵墓の門があるので北西側から入るのが良い。
近隣の住民が近くで犬の散歩をしている。
名前 |
長慶天皇 嵯峨東陵 |
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ジャンル |
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住所 |
〒616-8382 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺角倉町6−14 |
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
嵐電嵯峨駅前です!交通の便利さは抜群ですね!