江戸初期から長く伊賀者が住んでいました。
迎賓館に接する場所なので優雅な空気に包まれている。
安鎮坂より西のほうが谷底感があり貧民窟時代を偲ばせるものがある。
迎賓館と学習院初等科の間の坂道。
「鮫河橋」の地名を残す貴重な坂道。
ほかには付近の鮫ヶ橋せきとめ稲荷と、赤坂御用地の鮫が橋門にその名が残っている。
なだらかだが距離が長いため高低差もなかなか。
文字通り谷としての四谷の一面が垣間見える。
港区と新宿区の境界もこのあたり。
🦈さめがはしざか。
迎賓館を横目にみる長い坂で森のような緑が広がります。
坂下に、赤坂の溜池に注ぐ鮫河に架かる鮫河橋があったことが名前の由来です。
江戸湾の入り江がここまで入り込んでいて、海からサメが泳いできたんでしょうか。
地味に辛い傾斜だった!
江戸初期から長く伊賀者が住んでいました。
坂の下の「谷町」は湿気が多く、身分の低い忍びの者にはふさわしい土地だったようです。
みなみもと町公園前の坂道がそのようであるgoogle mapに載っていたが、碑は建ってない。
先程の公園の説明板に記されているだけである。
名前 |
鮫河橋坂 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.minato.tokyo.jp/kyouikucenter/kodomo/kids/machinami/saka/63.html |
評価 |
4.2 |
今では考えかれないことだが、明治時代に東京三大貧民窟の一つ、四谷鮫河橋貧民窟があった。