下田は、幕末の開国の舞台として有名。
日本が大きく変わるきっかけになった下田には大きな感動がありました。
玉泉寺が領事館としていろいな交渉など様々なドラマがあったりして当時のことを思い浮かべて見ていると何とも言えない気持ちが湧き上がりました。
ペリーの黒船を見た当時の人々はビックリしたことと思います。
また行きたい所ではありますね!
歴史のあるお寺です。
下田市内からは離れて居る柿崎に有ります。
道が細いです。
階段の石が特殊なマープル模様になっています。
石段を登ると本堂が見えます。
閉まる直前に訪れた為、次回はもっとゆっくり訪ねたいです。
タウンゼント・ハリスが初めて領事館を置いた寺院です。
それほど大きくはないですが、日米の関係を伝える博物館も併設されています。
開国の表舞台になった場所です。
開国後、米国総領事館として利用されたのが正にこの場所です。
カーター大統領が訪問された記念碑や上皇陛下、歴代の駐日米国大使などが歴訪された由緒正しい場所です。
米国やロシアの水兵の墓がこのお寺にあります。
またハリス記念館が併設されており、ハリスに関する遺品など大量に保管されています。
下田で開国に関する観光をするのであれば、まずはこちらに来るべきだと思います。
R135が来ると住宅街のわかりにくい路地に入りますが、黄色いブロックが目印です。
寺の前は5台くらい駐車可能なスペースがあります。
ハリス記念館にはこのお寺にまつわるストーリーがたくさん展示されてます。
のどかな下田のお寺の境内で米国の要人が着物の子供たちと一緒にお祭りに参加されている写真などもあり、まさに現代史への架け橋となる場所だったんだなぁとしみじみしました。
開国の歴史の1ページを感じました!
昔のアメリカ領事館歴史やロシアとの関係も良くわかります。
日米和親条約が締結の玉泉寺、米国領事館も置かれタウンゼン ハリス総領事が過ごされた場所です。
幕末開国史の舞台と成っていますがそれ以前には日露和親条約の交渉の場所にも成っておりプチャーチン提督やディナ号の滞在も有りました。
今も米黒船乗員墓地、露艦乗員墓地が健在していますが米黒船墓地には屋根が有り不思議な感じがしました。
ハリス記念館には貴重な資料が見ることが出来ます。
ペリー タウンゼント、ハリス 松田松陰、お吉物語の関連も見所です。
有料 大人 500円でした 駐車場は大型の観光バスが停められる場所が有り徒歩約2分で玉泉寺まで行けます。
ハリス記念館は小さいながら、中身は濃いです。
当時の出来事がよく分かる。
玉泉寺は下田市街から離れた静かな住宅街に位置している寺院です。
今は南国感も有りつつ、ひっそりとした環境ですが、幕末にアメリカ合衆国の初代総領事館が置かれた寺としての歴史を持っています。
(境内には碑も建っています)
ハリスゆかりの寺。
渋沢栄一やカーター元大統領などの関わりも深く興味深い。
歴史的な方々の名前がつらなる由緒唯式史跡。
御朱印の対応が今書き置きだけですが、近くのホテルにお泊まりならお預かりして、お届けをします対応でした。
場所も展示も地味めですが、じっくり展示物を見ると、幕末のことが思いやられて、感慨深いです。
決して広い場所ではありませんが、墓所や記念碑、記念館を通じて開国の歴史を学べる場所です。
静かな住宅街に立地していることや、海が見降ろせる景色もまた想像力をかきたてます。
海沿いを散歩して行ける立地もgood。
日本に初めてできた、アメリカの領事館です。
歴史好きな人には訪れて欲しい場所です。
歴史の教科書でお馴染みのハリスさんがいらっしゃった所です。
当時の外国人の船員さんのお墓がありますが、歴代住職のお墓より立派。
で、何故か屋根付き。
2月に訪れましたが、江戸中期に狩野派の絵師に描かれた涅槃図(一週間だけ)が御開帳されていて、住職に詳しく絵の事を解説して頂きました。
感謝。
激動の幕末このお寺程、グローバルワイドに欧米人がやってきたお寺は無いのでは?と思ってしまいます。
1856年タウンゼント・ハリスが通訳官ヒュースケンと共にこの寺にやってきて、この寺を日本最初の米国総領事館として開設したという話がやたらと喧伝されがちですが、実はハリスがこの寺に来る2年前(1854年11月)、日露和親条約の交渉が行われたのもこの玉泉寺なのです。
この交渉の10日前、下田は大地震による津波「安政の大津波」が押し寄せ、多くの被害が発生しました。
東日本大震災並みの津波が押し寄せたようです。
この時にロシアから条約交渉に来ていたプチャーチンは、自分たちの洋式戦艦ディアナ号をフル回転し、津波に流される日本人たちの救援にあったのです。
勿論ディアナ号も被災し沈没寸前だったため、ロシアの乗組員にもかなりの死傷者が出ました。
その時のロシアの乗組員のお墓も、ここ玉泉寺にあります。
#japanlocalguides#マイナー史跡 #玉泉寺。
江戸末期、総領事ハリスが滞在した事で有名な玉泉寺を訪ねました。
日本初の米国領事館とあって、さまざまな著名人が訪れており、中にはカーター米大統領の名前もありました、
ハリス総領事により日本最初の米国総領事館が開設された国指定史跡。
黒船ペリー艦隊乗員のお墓もある歴史的なお寺。
建てられたのは不明で元々真言宗の寺だったが、天正年間(1582)曹洞宗へ。
本尊は釈迦如来日米和親条約が結ばれた2年後の安政3年(1856)7月~安政6年(1859)5月の3年間我が国初のアメリカ総領事館が置かれました。
下田は、幕末の開国の舞台として有名。
米国の総領事館が設置され、タウンゼント・ハリスが駐在していたことはよく知られているが、ハリスが来日する前にロシアのプチャーチンが日露間の和親条約締結を求めて、幕閣の川路聖謨らと交渉が持たれたのも、ここ下田の玉泉寺であった。
資料館も併設されており、小規模だが見ごたえがある。
ロシア人、アメリカ人で、気の毒にも日本で客死した人たちの墓地もの寺にあり、彼らの墓標は海がよく見える高台に置かれている。
風情もあり いいお寺です。
御朱印いただきました。
m( _ _ )m
下田は幕末歴史の宝庫です。
ここもまさにそれです。
が、・・・博物館は要らないな。
1854年に日米和親条約が結ばれ 下田が開港され 1856年7月に タウンゼント ハリスが米国の総領事として下田に来航 8月5日に日本最初の領事館が ココ玉泉寺に開設され 前庭には星条旗が掲げられたとの事で 明治維新まではアト12年の事です 日本の歴史上 ココから本格的な外交が始まり その後の約160年の間に 政治経済 科学に医学 そしてその他すべての文明文化の 目覚ましい発展がなされ 現在に至っている訳です 実際コノ地に足を運ぶと 感慨深いモノを感じえました。
歴史の勉強になります、資料館は一見の価値があります。
下田の旅行には是非加えて戴きたい所です。
名前 |
曹洞宗瑞龍山玉泉寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0558-22-1287 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
ペリーによる日米和親条約で開国した日本が、この条約に基づいて日米修好通商条約を締結し、初代駐日アメリカ領事となったハリスが領事館として使用したお寺ですね。
境内にはアメリカ人やロシア人の墓が残っています。
こちらの目玉はハリス資料館で、ここに来るまで日米修好通商条約は不平等条約と習ったことが間違いであることを初めて知りました。
不平等条約となったのは後の改定後であり、そもそもはそれほど無茶な内容ではなかったのです。
ハリスや日米修好通商条約に関する資料が豊富に展示されており、幕末や日米の関係史に興味があればとても面白い資料館でしょう。
また、大の牛乳好きであったハリスが体調不良の折に牛乳を希望し、看護婦として雇われていたお吉が方々手を尽くして9合弱の牛乳を日本史上初めて購入したことを記念した碑も設置されています。
9合じゃくで米俵3俵分という大変な高額で購入したそうです。
先の大戦を命がけで戦った日米両国の出会いとその後の繁栄の始まりの地でもある玉泉寺、ぜひ訪れてみてください。