片倉小十郎景綱の異父姉、喜多の墓です。
仙台藩祖伊達政宗公の乳母として、白石城主片倉景綱(初代片倉小十郎)の母代わりとして二人を育て、白石市章にも用いられる黒鐘の大馬験をデザインし、太閤豊臣秀吉より少納言喜多と称された才女。
白石市も宮城県も、もっと歴史的再評価をなすべきです。
HKドラマ『独眼竜政宗』で竹下景子が喜多役として出演し話題となり、もともと砂岩(推測)でできている墓石を削り土産とする人が数多くいたため、今では小さな石となっていますが、晩年に草堂を結んだここを訪れると、今もお喜多さんが迎えて下さることを感じます。
是非とも訪れてほしいです。
片倉小十郎景綱の異父姉、喜多の墓です。
ここから真田幸村の墓まで、歩ける道が繋がっています。
著名人ではないので。
名前 |
片倉喜多の墓 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.7 |
片倉小十郎景綱の姉(異母姉と言われている)で、梵天丸(伊達政宗の幼名)の乳母とされている女性で、梵天丸が生まれて喜んだ父親の伊達輝宗が自ら選んだ才女だと言われている。
伊達政宗は、豊臣秀吉が天下人だった頃に京の聚楽第に屋敷を与えられたそうで、たまたま一揆の鎮圧を命じられて政宗が留守の時に秀吉が伊達政宗の内儀である愛姫(めごひめ)を呼び出したことがあったそうで、喜多は女中を愛姫の代わりに秀吉のもとに遣わしたそうだ。
秀吉は女にだらしがないという噂があったらしい,。
しかし、戻って来た政宗は、その話を聞いて怒った政宗は喜多を解任し在所に戻してしまったらしい。
(一説には、政宗も女に厳しくて、一人として手放さないほどの嫉妬心があったらしい)。
この人は、よほどの才女だったらしく、後年におこった伊達騒動を題材に描かれた歌舞伎の「仙台萩」の中で若様を守る役で描かれているそうです。
そのためか、墓石は「子供を守る」ご利益があると信じられて削られているそうです。