アルプス公園の山と自然の博物館で紹介されていた像の...
アルプス公園の山と自然の博物館で紹介されていた像の実物がこれです。
播隆(ばんりゅう)上人と読みます。
江戸時代に槍ヶ岳を開山した浄土宗の修行僧だそうです。
槍ヶ岳を開山した播隆上人。
新田次郎の小説「槍ヶ岳開山」を読み、その偉業に感動していましたが、松本駅前で出会うことができました。
播隆上人は、1828年7月20日に槍ヶ岳の山頂に登りました🎵凄いね❗そして、播隆上人は、その他の行いも素晴らしい❗更に、その昔の播隆上人の功績を称えて、松本の方々がこのような像を作成されたのは素晴らしい❗〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️ 北アルプスの槍ヶ岳(標高3,180メートル)を開山された播隆上人(ばんりゅうしょうにん)は、江戸時代後期、天明6年(1786)に越中国河内村(現富山県富山市河内)に生まれました。
十代で故郷を離れ、家は浄土真宗でありましたが、上方(京都、大阪)、尾張(愛知)の各宗寺院を遍歴した後、浄土宗の僧侶となりました。
播隆上人は諸国巡錫修行をし、修行の場を山岳に求め、各地の山で念仏修行を実践されました。
山での播隆上人の足跡は、伊吹山禅定、笠ヶ岳再興、槍ヶ岳開山、穂高岳登拝と、山岳史上から見ても偉大な業績を残しています。
播隆上人は自らの修行だけに生きた念仏行者ではなく、山を下り里に至っては念仏の布教につとめ、民衆とともに生きた方でした。
槍ヶ岳を開山された後は、里の念仏講の人々を槍ヶ岳山頂へと導かれてもいます。
各地に残されている、播隆上人がお書きになった、南無阿弥陀仏の名号碑、名号軸、今も続く念仏講などによって、活動の一端を知ることができます。
播隆上人は、立禅和尚の紹介により、信濃国小倉村(現安曇野市三郷小倉)の中田又重を道案内人として、安曇平から小倉村の鍋冠山・大滝山・蝶ヶ岳を経て、槍ヶ岳を目指しました。
1回目の槍ヶ岳登山では山頂までは登らなかったものの、山頂へ登れることに確信を持ち、山頂に仏像を安置するため、美濃・尾張・三河・山城・若狭等の各国を巡錫して、浄財を勧募し、また信者に対し布教伝道していきました。
各地での浄財をもとにして、大坂で仏像を(阿弥陀如来・観世音菩薩・文殊菩薩)を造り、この仏像を奉持して、再び信州へと入りました。
そして、中田又重とともに再び槍ヶ岳へと登り、待望の槍ヶ岳初登頂に成功し、山頂にこの仏像を安置して、槍ヶ岳開山を成し遂げられました。
時に文政11年(1828)7月20日、播隆上人数え年43歳のことであったといわれております(2回目の槍ヶ岳登山にして、槍ヶ岳初登頂、槍ヶ岳開山)。
播播隆上人は岩窟(現在、山頂直下にある播隆窟とされる)に入って参籠し、晴天の日などは山頂に登って、そこで一心不乱に念仏を唱えるなど、四十八日間の別時念仏も行い、無事下山して、小倉村へと帰りました。
天保4年(1833)8月には、3回目の槍ヶ岳登山を行い、槍ヶ岳までの山道を切り開いて、登山のための道を整備し、翌天保5年(1834)6月18日に4回目となる槍ヶ岳登山をし、53日間滞在し、別時念仏を行うとともに、諸人が槍ヶ岳山頂に登るための安全を図り、山頂付近に藁縄などで作った「善の綱」と呼ばれる綱を設置しました。
そして、8月12日に下山しました。
天保6年(1835)6月24日、5回目となる槍ヶ岳登山を行いました。
この時、前年に設置した「善の綱」が傷んでいることを確認し、鉄の鎖に架け替えることを発願されました。
翌天保7年(1836)には浄財を募り、鉄鎖で作られた、新しい「善の綱」が出来上がりますが、天保の飢饉のため、松本藩に差し押さえられてしまいました。
ようやく槍ヶ岳への鉄鎖取り付けが許可されたのは、それから4年後の天保11年(1840)のことで、8月頃、信者らによって槍ヶ岳山頂に、鉄鎖で作られた「善の綱」が設置され、播隆上人の発願されたことが、ついに大願成就しました。
しかし、それに先立つ7月に播隆上人は病のために、玄向寺で伏しており、その病床でこの朗報を聞きました その後、播隆上人は9月6日に玄向寺を発ち、各地をまわって、念仏講を行ったり、鉄鎖を架ける際にお世話になった方々に御礼を述べたりしながら、美濃揖斐村の阿弥陀堂に向かいましたが、途中病気が悪化し、中山道太田宿にて往生されました。
時に天保11年(1840)10月21日、行年は数え年55歳でした。
播隆上人は、全5回槍ヶ岳へと登りましたが、ただ槍ヶ岳を初登頂しただけに留まらず、諸人が登山して、そこで念仏をお唱えすることができるようにと、槍ヶ岳へ至る道を整備し、山頂付近の険しい箇所には綱を架けるなど、誰もが安全に登山できるように努められたので、「槍ヶ岳開山」と称されています。
良。
槍ヶ岳に初登頂した播隆上人を讃えるブロンズ像です。
気になって軽く調べましたが確かに初期アルピニストにふさわしい方です。
名前 |
播隆上人像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
槍ヶ岳を拓いた高僧の像。
富山県出身の人です👍