名前 |
海岸水門 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.5 |
旧水門は以前水門があった場所(日本ロールの南側は葦が繁って居て浅瀬~中瀬は腹部以上の深さです)を境界として、左近川(最後のお写真は葛西地域で田んぼが周囲にあって田んぼに入水させる為に堰の周囲に農道を造たのです。
元々は左近川と称する河川では無く水路です)が、中央防波堤のゴミ処分場の外側が一杯と成れば東京都のゴミ捨て場がご座居ません。
つまり、元々の陸地(田んぼです)にあったのが左近川(周囲が田畑があり堰(田んぼに水を注ぐ水路です)の回りに農道です)で、更に埋め立てでできた海岸の海と一緒に新左近川、元は海岸だった部分が新左近川なのです。
埋め立てによって海岸が川になってしまいました。
元の海岸線(砂浜)のその先に二度も砂で埋め立てした場所に将監の鼻と称する造物があって「周囲は砂浜(砂の埋立地)」です。
将監の鼻(砂浜に岩は無い)の石碑の設置は「海の底に」あったのでしょうか。
元々は東京湾は砂浜だったので最初より無かったのです。
2008年に旧海岸を写真で撮りました。
この時点で水害を防ぐための水門としての役割はとっくに終えていたことになります。
2020年に撤去され、遺構として整備されました。
遺構には水門の歴史などを解説したパネル(実際に調査しないパネルと推察)がはめられています。
時代を遡ると江戸川区や江東区等々も海の底でした(お写真を良く観て下さい)。
埋め立て擬きでは無く「後で風水害等々を避ける為に掘削した」のです。
都県境が何処にあるのでしょうか。
最後の二枚のお写真は丹下健三氏の新都市構想で凌ぎますか。
欠礼や行き違いの切はご容赦下さいませ。
証のお写真を添付致します。
本所亀沢町6代末孫。