一歩足を踏み入れると静寂があります。
6月5日午前中海外からの知り合いを案内して上野公園を散策しました。
大仏の顔だけですが、直ぐ側でお顔を見ることがないので貴重な場所では?
東京都台東区上野公園にある大仏になります。
現在は顔面部のみですが、元々は高さ6mの釈迦如来坐像でした。
寛永8(1631)年に初建された後、度々罹災・復興を繰り返しましたが、大正12(1923)年の関東大震災で首から上が落下し、第二次大戦(昭和14[1939]年~昭和20[1945]年)時には軍の金属類供出令(資源不足を補うため金属類の供出を定めた法令)により顔面部を除く頭部、胴部以下がを徴用されて顔のみが残されました。
現在は「これ以上落ちない」「合格大仏」として受験生の人気スポットになっています。
ひっそりお顔だけの大仏様ですが、何か愛嬌あります。
受験のお願いの絵馬ではなく第一志望受かりました!の絵馬が目立つのはご利益ある証拠かな?個人的には私のパワースポットでもあります。
上野公園を散策している時気になって寄ってみました。
顔だけの大仏ですが、とてもいい顔をしていて良かったです。
御朱印は直に書いてもらえました。
1631年に建てられた上野大仏は関東大震災で首が落ちてしまい、その後資金不足で再建されないまま第二次世界大戦で顔面を除く部分が軍に供出されました。
その後1967年に大仏跡地に祈願塔が、1972年に顔面部のレリーフが完成しました。
顔面は「これ以上落ちない」という意味で合格大仏とも呼ばれ、受験生に人気です。
上野公園・・しっかり巡ると色々楽しいし海外を彷彿させる瞬間がありました~サクラが開花し始めてる。
咲き始めのサクラが散ってる所に大型のインコが何羽も居てビックリしました。
花の密を吸っているのか?!吸い終わった花をクチバシで切り落としてました・・
上野大仏は、現在の東京都台東区上野恩賜公園内にあった大仏です。
像高約6メートルの釈迦如来坐像だった。
関東大震災に至る度重なる罹災により損壊し、胴体も戦時の金属供出で失われた。
現在では顔面部のみがレリーフとして保存されています。
これ以上落ちないという意味で今や合格祈願に訪れる受験生の参拝が多くなっています。
現在では薬師仏を祀っているパゴタ様式の祈願塔と志納所がともに併設されるようになったことも見どころの一つです。
大仏の歴史を初めて知りました。
顔だけでも残っていて良かった。
この大仏様は、寛永8(1631)年に建立された「釈迦如来」像だったそうです。
当初は漆喰で造られましたが、明暦・万治の頃に高さ約6mの銅仏に改められたとか。
幕末の上の戦争では被害を免れたものの、関東大震災でお顔が落下。
お体は第二次世界大戦で供出。
昭和47年にこの地に再び迎えられたそうです。
建立当時とはお姿がかなり変わってしまいましたが、現在では「これ以上落ちない合格大仏」として信仰されています。
実際、寺務所でお守りなどが数多く置かれています。
御朱印もいただくことができます。
同じ敷地内にパゴダ薬師堂があり、薬師如来がいらっしゃいます。
この御朱印も同じ所でいただくことができます。
(2020.1現在)
知る人ぞ知る上野大仏(って私も長年知りませんでした)。
関東大震災で崩れ落ち、顔だけ残ったそうです。
これ以上落ちないということで受験生の救いの綱になっているとか。
上野精養軒前の、いつも素通りしていた小高い丘の上にありました。
センパイの勧めで参りました。
上野大仏は、顔だけとなってしまいましたが、幾多の困難を乗り越えてきた強運。
間違いなくパワースポットでしょう!御朱印の長蛇の列ができていましたよ!
パワーストーンのようなやつも売ってます。
昨今TVでよく取り上げられたせいか、参拝者が多かった。
「上野大仏:パゴダ祈願塔の御朱印に付いて」2019年10月末の日曜日に伺いました。
朝一番AM8:40に上野公園に到着して、御朱印をゲットって思いましたが、以前は「清水観音堂」にて「観音堂御朱印」「上野大仏御朱印 「パゴダ祈願塔」の3種類を直書きで頂けましたが、現在は「上野大仏」「パゴダ祈願塔」の達筆御朱印は、パゴダ祈願塔左側の寺務所にて「AM10:00〜PM15:00」までの拝受になります。
従いまして「清水観音堂」の御朱印拝受時間はAM9:00〜16:00ですので、こちらを先に頂いた方が良いですね。
娘が受験なので合格祈願で来ました。
お守りを売っている(お寺の方?)の方に参拝の仕方を教わり、売っているお守りを使い大仏の顔をこするという方法で祈願しました。
又大仏の目の前の塔には薬師如来と日光菩薩と月光菩薩の薬師三尊像が祀られており、こちらは病を治したい方が参拝すると良いそうです。
(写真撮影は禁止と書いてある)
上野に大仏さまがあるの?上野公園を歩いていて「合格祈願 上野大仏」の幟(のぼり)を見て不思議に思いました。
不忍池に近い小高い丘の上にコンクリート製のパゴダが建っています。
でも大仏さまのお姿はありません。
丘に登って周りを見渡すと、パゴダの向かいに大仏さまのお顔だけがレリーフとして埋め込まれています。
このおいたわしいお姿となった大仏さまは江戸時代後期の天保年間に建立された釈迦如来坐像(高さ約6m)ですが、大正12年の関東大震災で頭部が落下してしまい、再建されないまま太平洋戦争へと向かう昭和15年にお顔を除いた部分は銅合金の軍需金属資源として供出されてしまいました。
それでも何とかお顔の部分だけでも残せたのは関係者の方の必死の努力だったと思います。
でも「もうこれ以上落ちない」から受験生の合格祈願に効くというのは、いくら洒落や語呂合わせの好きな日本人だからと言ってこれはお釈迦さまに失礼だと思いました。
しかしながら、そんな語呂合わせでも参拝者の方が増えることは、雑草に埋もれてしまうよりは良いことなのかも知れません。
様々な困難を乗り越え、現在レリーフとなっている大仏さまのお顔はとても穏やかで、お詣りに訪れる学生たちを温かく見守ってくれている気がします。
16時までの拝観とのことで、15時40分すぎに絵馬を購入しようとしたところ、お寺の方に「もう終わりだよ!もう終わり!」とかなり強めに言われた上に手で追い払われ、私の後にいた受験生らしき子どもたちも、それを聞いて逃げるように帰っていきました。
「もう落ちない」ということで有名な大仏様の前で、私のテンションはガタ落ちでしたが、たしかに、あのお坊さん(?)の応対はあれ以上落ちようがなさそうです。
とはいえ、大仏様に非はありませんので、これから伺われる方で絵馬やお守りを購入されたい方は、まず、お寺の方のご機嫌を遠目に伺ってからにされるとよいでしょう。
危なそうな場合は、大仏様とだけお話されることをお薦めいたします。
上野公園内、上野精養軒の近くに大仏山と呼ばれる小さな丘がある。
ここは、関東大震災で頭部が落下して大破するまで大仏様が座しておられた場所で、今は丘の頂にパゴダと呼ばれる仏塔が建ち、大仏様の顔だけがレリーフとなって保存されている。
パゴダとはミャンマー様式の仏塔のことで、「釈迦の住む家」であるとされている。
明治8年に撤去されるまでは大仏殿がこの場所に立ち、文字通り「釈迦の住む家」があった。
この場所に最初に大仏が建ったのは寛永8年(1631年)、粘土に漆喰塗りの釈迦如来坐像だった。
その後、万治年間 (1660年) に青銅製の釈迦像となり、元禄11年 (1698年)には大仏殿も建立された。
その後は火災や地震の度に修復を繰り返してきたが、関東大震災で頭部が落下。
そして、昭和15年(1940年)には戦況の悪化による金属供出令で顔面をのぞく頭部、胴体が軍に供出され、上野の大仏様は消えてしまった。
しかし、昭和42年(1967年)関東大震災の50回忌にあたり上野観光連盟が願主となって大仏パゴダを建立。
昭和47年(1972年)寛永寺に保管されていた顔面部がレリーフとして安置され現在のお姿となった。
首だけの大仏様です。
もうこれ以上落ちないと言う理由で受験の前は混むそうです。
私は桜の時期にこちらでお弁当とビールを頂きます。
関東大震災が起こるまでは全身像があったものの、その後は大仏の顔だけが残り「頭だけなら落ちたりはしないだろう」という事で今は合格祈願の御利益のあるありがたい大仏様となっている。
因みにすぐ近くにはパゴダが建っている。
上野公園の小高くなったところにあります。
看板が出ていますが、ちょっとわかりにくいかも。
すべらずの大仏とのことです。
上野公園に行ったら、時間はかかりませんので、押さえておきたいところだと思いました。
一歩足を踏み入れると静寂があります。
歴史を感じながら参拝しました。
これ以上落ちないということから合格大仏としても有名なんだそうです。
御朱印は観音堂でいただくようです。
2016/12/11にお堂の裏手の紅葉が素晴らしかったです。
2016/02/07参拝。
悲運の大仏は平和の象徴であり、今も残る頬に伝わる涙の跡は、何を伝えようとしているのか!? 平和について考えて見ましょう。
数々の災難を乗り越えた上野大仏は、現在では顔を残す様子が「これ以上落ちない」ということから、「合格大仏」としても親しまれています。
名前 |
上野大佛 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3821-4749 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 10:00~16:00 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
隣のパゴダ薬師堂も含めてこのエリアの雰囲気が好きです。
少し日本とは違った味わいがあります。
訪れた時間が早朝だったので 施錠されていて 正面から撮影出来ませんでした。