現地には看板一つでなーんにもありません。
位置アプリ「ニッポン城めぐり」がきっかけで訪問しましたが、現地には看板一つでなーんにもありません。
観光地としては虚しいです。
ですが、解説を読むと、江戸時代にこのような僻地に駐屯することで栄養失調等で死者を出してしまい、大変だったのだなと歴史の勉強になります。
1804年に設置された陣屋跡です。
この時期ロシア船の目撃が増えており、幕府は東北諸藩に蝦夷の防備を命じました。
ここは津軽藩が設置した陣屋跡です。
今は痕跡は何も残っていません。
碑と説明板があるのみです。
駐車場ありません。
更地にポツンと碑が建っているだけの場所でした。
しかし、説明版の内容はとても興味深く、津軽藩の人々の辛く悲しき過去が強く感じられてきました。
名前 |
津軽藩シャリ陣屋跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
説明板より→北辺の風雲急を告げた文化四年(一八〇七)斜里地方の沿岸防衛を命ぜられた津軽藩は、この年斜里前浜このあたりに陣屋三棟(三間に十二間 二棟 三間に十間 一棟)を構築し同年七月から藩士百名が駐屯して沿岸警備にあたりました。
しかし朔北辺境での気候風土は耐え難く、加えて厳しい越冬期間中浮腫病のまんえんにより次々と死亡翌年故郷の津軽へ帰還 した藩士はわずか十七名にすぎませんでした。
爾来星霜百八十年、当時の陣屋その他遺構は殆んど消失して今はその跡形もありませんが、ただ文化六年に書かれた死没者の過去帳(弾竜寺)と同、九年に建立された藩士の供養碑が二基旧墓地(町民公園)と日照寺境内に現存し当時の悲惨さを伝えております。
津軽藩士斜里殉難百八十周年を記念し建立。