村上水軍の将、武吉公のお墓あります。
元正寺(大島霊場第74番) / / .
村上水軍の将、武吉公のお墓あります。
今治からきました、実は島にきてから村上武吉のお墓があると聞き、これはお参りに行かねばときました。
南無阿弥陀。
能島村上氏の村上武吉墓所は、周防大島を渡ってかなり走らなければならない場所にあります。
宝篋印塔は立派ですが、それを囲っている土塀は朽ち果てているのが痛々しい。
途中、車を停め徒歩で行く方がよいと思います。
能島村上水軍の頭領、村上武吉と奥方の墓があります。
分かりにくい場所ですが、案内板さえ見落とさなければ大丈夫。
車の場合、道が狭いので注意。
バクチの木があるところに駐車できるスペースがあります。
名前 |
元正寺(大島霊場第74番) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
村上武吉の墓が残されています。
海の総大将だった村上武吉は秀吉に睨まれて、毛利の長州転封後は千石の封土を受け東和町和田に移り住みます。
一族郎党160人が和田の港にたどり着いたと云いますが、村上海賊たちがやって来るというので、これにおびえた和田の女こどもは隠れたと伝えられます。
その後、小泊で合戦の訓練をしていたも云いますが、多くの家臣を養うことはできずにそのうち部下も四散してしまったという。
家臣の中にはもとの瀬戸内の島々に帰り、帰農したり漁民になったりするものも多かったようです。
1604年、村上武吉は和田の海が見えるこの地で永眠します。
武吉の次男景親は毛利の家臣として秀吉の朝鮮出兵に駆り出されましたが、その時に朝鮮の女性を連れ帰っています。
景親は三田尻にいましたが、この女性は和田にて晩年の武吉の面倒をみたようです。
武吉は、この女性にひとり看取られてこの世を去ります。
この寺は次男景親が建立。
墓は本堂の真横にある立派な宝筺印塔です。
墓の周りは土壁で囲って、白壁に補修されていました。
その土塀の真後ろに奥方の墓が武吉を見守るように立ています。
それに並んでいるがこれは武吉の三人目の妻の墓のようです。