名前 |
水埜士惇君冶水碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
庄内川は雨が降ると、すぐに洪水になり、師勝や西春、新川など庄内川沿いの町や村は洪水の被害が絶えませんでした。
そこで安永8年、時の勘定奉行、水野千之右衛門は尾張藩主の命令のもと、普請奉行として庄内川の洪水を防ぐ工事にとりかかりました。
しかし、いざ工事になると、予定していた工事費をはるかに上回る大金が必要であることが判明。
千之右衛門はどうしたものかと悩みましたが尊い人命を守るためなら仕方がないと決心し、重罪を覚悟で工事を続行。
その後工事は無事に完成し、新しく「新川」と名付けられた川が誕生しました。
案の定、千之右衛門は大金を使った責任を問われましたが、千之右衛門のお陰で庄内川の洪水が少なくなり軽い罪で済んだそうです。
治水碑はその千之右衛門の功績を長く後世に伝えるために建てられたもので碑にも「水埜士惇君治水碑」と書かれています。