間人皇后と聖徳太子母子像が立っている。
間人(はしうど)皇后・聖徳太子母子像 / / / .
間人母と子の親子像です。
けっこう大きいな像です。
静かに海を眺めている様です。
海を向いてたたずむ間人(はしうど)皇后と聖徳太子の母子像。
六世紀末、蘇我氏と物部氏の争いを避けるために斑鳩からこの地へ逃れてきた間人(はしうど)皇后は、この地を離れる時に、村人の手厚いもてなしに報いるため、自分の名をこの地に贈ったのですが、「はしうど」と呼ばれる事を恐れ多く感じた村人は、皇后の退座にちなんで「間人(はしうど)」を「たいざ」と読むようにした事が「間人(たいざ)」という地名の由来だそうてす。
間人皇后と聖徳太子母子像が立っている。
海の方を見つめ乍ら何か教えているのだろうか?現在の景色も良い眺めだろけど、前を通る現代子の不作法には呆れているのかも・・・
用明天皇の后、間人皇后がこの地に滞在していたという伝説に基づくモニュメント。
その子の聖徳太子の幼い姿とともに。
夕陽をバックに撮るといい感じです。
間人後釜ヶ浜の交差点に『立岩』駐車場🅿️の看板があります。
細い道を奥へ進みます。
6世紀末、聖徳太子の母で、用明天皇の后の穴穂部間人皇后が、蘇我、物部氏間の戦乱からこの地に逃れ住み、乱がおさまった後、都へ帰る時に里人へ感謝の念を込め自らの名「間人」を村名に贈ったそうです。
里人は皇后の名をそのまま地名にするのはおそれ多いとして、皇后の御退座にちなみ、「間人」と書いて「たいざ」と読み伝えたといわれている。
彼女の滞在を記念したこの像は、受けた恩を忘れぬように、そして里人がいつまでも優しい心をなくさないようにと願い、間人の海を見守るように優しくたたずんでいます。
今も昔も変わらない景色を感じながら眺めてました。
間人皇后、聖徳太子母子像は、お顔も優しくとても暖かな物が伝わりました。
立岩の後ろの丘に立っています。
Statue of Shotokutaishi
キレイな海岸に、思ったより大きな二体の像が立っている。
唐突な感じで違和感を感じました。
それに、太子の幼少名は厩戸皇子だったと思うのですが。
後の聖徳太子の母・穴穂部間人皇后が、蘇我、物部氏間の戦乱からこの地に身を隠し、戦乱が収まった後、都へ帰る時に村人へ感謝の念を込め自らの名「間人」を村名に贈りました。
村人は皇后の名をそのまま地名にするのはおそれ多いとして、皇后の御退座にちなみ、「間人」と書いて「たいざ」と読むようになったと伝えられています。
立岩の畔には「間人皇后・聖徳太子母子像」が、間人の海を見守るように優しくたたずんでいます。
ここの大自然の雄大さが売りで、ドラマの撮影現場としても人気があったのに、場違いも甚だしい気味の悪い像を 景観の良い場所へ置いたのか理解に苦しむなぁ。
邪魔という以外の言葉はない。
磯遊びするとこですかね。
タイトルが Lady Shizuka Statue になっていますが、shizuka ではなく、hashiudo ですよ!
名前 |
間人(はしうど)皇后・聖徳太子母子像 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
聖徳太子像はあちらこちらで見ることがありましたが、お母様と一緒は初めて見ました。
優しい眼差しのお母様とご一緒。
心癒やされる風景でした。