2022年7月8日みちのく旅路の3城目として登城し...
2022年7月8日みちのく旅路の3城目として登城しました。
平地にある少し高い山と言う感じの場所でした。
その昔城がありそうな感じが伝わりました。
現在天童公園という名で人間将棋盤があり、桜の時期人が駒になり将棋を行う姿を以前TV等で見た事を思い出し、この場所!と思いました。
山頂に無料駐車場があり、その先に人間将棋盤そして観客席、見晴台等がありました。
ただし詳しく調べて行かなかったため、城に関する遺構などは確認しませんでした。
唯一石碑が見晴台の前にありここが天童古城跡と示していました。
天童氏は最上義光に攻められ仙台へ行き伊達家に仕え現在も子孫がいることが石碑にありました。
天童城の跡地に天童城はすでにありません。
台地部分に人間将棋の盤があります。
天童は将棋の生産量で圧倒的な場所です。
街にはあちこちに将棋があります。
マンホールにも将棋があります。
ともかく天童の城は、最上の山形城と近すぎて最上義光の謀略により周辺の豪族に寝返られ、滅亡します。
その後、天童の領主として何度か大名の配置換えが行われています。
その中に織田信長の次男信雄の子孫に当たる織田信浮(おだのぶちか)がいます。
城は残っていませんが、立派な丘の上に天童氏が一大勢力を築いたことがわかるようです。
天童市民の憩いの場として整備されていて快適でした。
各所からの眺望もよかったです。
参拝に行くのは、ちょっと怖い雰囲気です。
愛宕神社があります✨気軽にふわーっと行くにはちょっとキビしいかも😖落ち着きました☺️
天童の歴史を感じさせるところです。
天童城跡地には現在愛宕神社社殿があります。
愛宕神社にお越しの際はかなりの山道になるのでそれなりの装備で行くことをオススメします。
短時間訪問の感想になりますが城跡としてはいまいちでした。
遺構がたくさん残っており、説明板も綺麗でわかりやすかったです。
本丸跡の発掘調査をしているみたいですね。
山形県天童市天童にあった城です。
東西1000メートル、南北1200メートルの村山地方最大の山城で帯曲輪が巡り、段状の曲輪が連なります。
山頂には愛宕神社が建立されています。
城跡の大部分は天童市舞鶴山公園となっています。
天守跡には、古い神社が立ってました。
案内板が有り天守にまつわる情報が掲載されていました。
古い井戸の跡もありましたが、水は枯れていました。
山の中は、蚊がいるので、虫除け対策していく事をお勧めします。
頂上の愛宕神社です。
「雑な説明看板」「不親切な案内表示」「手入れの行き届いてない神社」観光で行く場所としての整備はされてないもよう途中木々の間に埋もれてる廃墟がなんなのか気になるが、スーツに革靴で来てたので確認に行けず因みに、革靴で行くのはオススメしません。
素晴らしい。
戦国期の山城の形態をよく残しています。
天童古城は、全山が中世山城で、県内随一の規模をほこる。
いたるところに削平された平場やそれをめぐる曲輪をみることができる。
もっとも高所のこのあたりが主郭であった。
かつてこのあたり一帯に建物がたち並び、東側の一段高い場所には櫓があった。
曲輪には古井戸が残っている。
周囲には急な崖(切岸)がめぐり、その下方には帯曲輪がとり巻き、さらに段状にいくえにも曲輪が連なる。
虎口が愛宕社参道あたりに開き、西側の屋根を登りつめたところにも出入口があったらしい。
天正十二年(一五八四)一〇月、南北朝期以来この地を支配していた天童氏は、最上義光に攻められ落城した。
季節を感じられる場所。
愛宕神社への参道は舗装されていないため、ちょっとした登山となるので、少し覚悟が必要かも。
また、舞鶴公園からの眺めが素晴らしいです。
名前 |
天童城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
023-654-1111 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://www.city.tendo.yamagata.jp/tourism/kanko/maizuruyama.html |
評価 |
4.0 |
某PCゲームデフォ城を巡る旅 20221025以前温泉だけつかって 城に行かなかったw有名な人間将棋の舞台であるが 実はここ本丸じゃ無い! で公園管理の方に聞いたら愛宕神社へいきなはれと!少し暗い山道を15分ほど歩き 愛宕神社に到着 眺望は無いぞ。