桜が咲く時期だけは素晴らしいです。
雑草だらけでよく分からなかった(^_^;)令和4年7月3日訪問。
国道から結構車が走ります。
昔松前藩の城があったらしいですが現在城らしき痕跡は井戸の穴くらいしか残ってません。
今は公園になってます。
サクラが満開で100本くらい有るのでしょうか、地元の人の姿がありませんでした。
構造:平山城/土塁・空堀。
松前藩の城でしたが、戊辰戦争で旧幕府軍に攻められ、築城して8ヶ月後に落城しています。
その後、箱館戦争では、官軍に奪還されました。
よく保存されていたと驚きました。
築城後すぐに落城したようですが歴史的な場所でもありますね。
本当に何もありません。
立看板が設置されてますが、整備されておらず、放置してる感じがしました。
せっかく立派な門があるのに勿体ない感じ。
辺鄙な所だし規模も小さい。
が、トイレ駐車場があり、無人ながらパンフレットが置いてあり、草刈りの仕方で本来の入り口を再現するなどかなり頑張っている。
駐車場があるかと思ったが、道路脇に縦列駐車のスペースが数台分だけ。
誰もいない。
記念碑の方へふかふかの草の上を歩いていくと、野うさぎが逃げて行った。
(大きな🐰やなぁ)はっと気がつくと、礎石の根元に大きな蛇がいた。
(じゃじゃーん。
🐍)展望台へ行く途中にも野うさぎ発見。
頂上のまわりには赤いカタクリの花がチラホラと咲いていた。
ここは、函館戦争の戦場だったことから見て、うさぎは新政府軍、へびは旧幕府、カタクリは討ち死にした兵士の血の名残か。
なんとも存在感のある、かつ野趣溢れる館城跡でした。
桜満開なら結構綺麗ですよ‼️桜をライトアップして夜桜も楽しめたらもっといいですけど。
入口には新しい大きな門があってどんなものかなと見に行きましたが、冬に行っても公園は、雪の中で入ることは出来ませんでした。
一人でドライブに来る程度なら良いでしょうが、観光目的で来るにはどうなんでしょうね?すごく静かで私は好きですけどね。
桜が咲く時期だけは素晴らしいです。
国指定史跡🌸=染井吉野/里桜⇒約800本戊辰戦争さなかの1868(明治元)年、松前藩が建設した城跡。
榎本武揚ら旧幕府軍の攻撃により焼き払われた📖館城の戦い1869(明治2)年、榎本武揚率いる旧幕府脱走軍の松前城攻撃に先立ち、松前藩主一族は11月3日館城に移動。
11月5日の松前城陥落後も松前藩は降伏せず、館城・江差を拠点に態勢を立て直す姿勢を見せたため、11月10日、松岡四郎次郎が率いる一聯隊200名が館城攻略のため、五稜郭を出発。
11月13日に途中の稲倉石(現・厚沢部町)を抜き、11月15日、館城攻略戦が行われた4,。
藩主一族は11月12日に江差に避難しており館城守備隊は60名程度だけであった。
午前9時頃攻撃が開始され、1時間ほど激しい銃撃戦が続いた後、表門の下の隙間から侵入した旧幕府兵が門を開け、兵が乱入し白兵戦となった。
まな板を盾にしつつ太刀で戦い壮絶な戦死を遂げた松前法華寺の元僧侶である軍事方三上超順の奮戦もあったが、昼頃には落城・焼失し、松前兵は敗走し、海路対岸の津軽半島に避難した。
官軍の攻撃で旧幕府軍が箱館・五稜郭で降伏し、松前の所領回復後も松前藩は館城を拠点として「館藩」と名乗り、1871(明治4)年の廃藩置県の際には青森県に属した📖力石相撲好きの田舎力士、山田某が館城跡の中を通る旧国道沿いに見事な球形をした大石を発見したので自宅に持ち帰り、毎日のようにこの石で力試しをしていた。
しかし、そのうち妻が病気になってしまった。
ある人から「拾った石は館城で戦死した三上超順の力試しの石だから、元に戻したほうがよい」と言われたため、厚沢部町の館地区にある正定寺の住職に回向を願ったところ、彼の妻は元気を取り戻したため、この石を同寺の境内に安置した。
その後1968(昭和43)年、館城跡100年を記念し正定寺境内から城跡に石を移し、碑を建立した。
暗くて何も見えなかったwww
名前 |
館城跡 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.6 |
看板があるだけです松前氏の最後の陣屋。