正徳三(1713)年のもがありました。
庚申塔は、奉納年が分かるのは、宝永五(1708)年、宝永六(1709)年、正徳三(1713)年のもがありました。
それ以外は、よくわかりませんでした。
六地蔵は元禄十六(1703)年と宝永二(1705)年に奉納されたものでした。
背中に年号が刻まれていました。
石造物がすべて初めからここにあったのかは不明ですが300年以上前のものがあり歴史を実感することができました。
『若人作塔以土石金銀銅鈆。
書比神咒安置其中。
』もし人ありて、土・石・金・銀・銅・鉛を持って塔を作り、この神咒を書きてその中に安置すれば、・・・・『若有有情能於此塔。
一香一華禮拜供養。
八十億劫生死重罪一時消滅。
生免災殃死生佛家。
若有應墮阿鼻地獄。
若於此塔。
或一禮拜。
或一右遶。
塞地獄門開菩提路』もし有情ありて、よく此の塔に(於いて)、一香一華をもって礼拝供養すれば、八十億劫生死の重罪は一時に消滅す。
生まれては災殃(わざわい)を免れ、死しては仏家に生ず。
もしこの塔に(於いて)、或いは一たび礼拝し、或いは一たび右に遶(めぐ)れば、地獄の門は塞ぎ、菩提の路は開く。
御朱印はスタンプをセルフで!御朱印帳か紙を用意しないと・・・
諏訪神社の隣にあります。
こちらのお寺は真言宗智山派の一つで、立派な佇まいをした地蔵菩薩が特徴的なお寺です。
境内は静かで階段を登り切った先の本堂からは日暮里の住宅街の光景を眼下に確認できます。
案内板によると、江戸六地蔵の一つがあり、八代将軍吉宗の腰掛石があり、特に雪の時期が素晴らしい景勝地との事。
隣接する諏訪神社脇から西日暮里駅へ抜ける階段の名が地蔵坂で当地にある地蔵からきている様だが、坐像と立像どちらなのか?(一丈=3mあるらしいが何方もそこまで高くないような・・・)
明治維新後の神仏分離で隣接する諏方神社と分離したとのことである。
境内は近代化され、コンパクトになった様です。
普通に良かった。
歩道近くに灰皿を置いている。
諏訪神社の隣にあり地蔵仏像が立派です。
歴史を感じられる山門をくぐると大きな地蔵菩薩があります。
となりの諏訪神社と併せて訪問すべきところだと思います。
諏訪神社のすぐ隣りにある寺院です。
徳川将軍家御膳所。
雪見寺とも呼ばれ高台からの雪景色が素晴らしい所だそつです。
庚申塚や重要文化財の仏像を見学できます。
手を触れず、大切に、マナーを守って参拝させていただきましょう。
真言宗豊山派のお寺です。
本堂の裏手に江戸時代に将軍が鷹狩に訪れた時に腰掛けたと言われる石がありますが表からは見ることは出来ません。
山門を入ってすぐ左には江戸六地蔵のうちの一体があります。
すぐ隣にある諏訪神社は中尾彬と池上志乃が結婚式を挙げた神社です。
東京とこの近郊では、数メートル歩くだけで、平和の背水であり信仰の船であるいくつかの小さな寺院に出会えます。
Tokyo and in this neighborhood it is enough to walk a few meters to run into several small temples that are backwaters of peace and vessels of faith.
キレイなお寺です。
こちらのお寺の高台から見る雪景色が、素晴らしかった事から、雪見寺と同時は、言われていたそうです👍当時の雪景色は、どんな景色が、見えたのでしょうね☺江戸六地蔵尊のお寺でもあります🎵六地蔵尊の御朱印をいただきました。
2018年元旦。
谷中七福神巡りの途中に再訪しました。
相変わらず立派な地蔵尊でした。
六地蔵の3番目。
綺麗な庚申塔が7基あります。
真言宗豊山派のお寺。
豊島八十八ヶ所の札所です。
御朱印は、書いてないそうで、いただけませんでした。
西日暮里路地散歩でふらっと訪れました。
名前 |
浄光寺 (雪見寺) |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3821-4294 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.city.arakawa.tokyo.jp/a022/shisetsuannai/jinja/nippori005.html |
評価 |
3.6 |
ご朱印は印が置いてあり、自分で押すように配慮してあります。