市の新設案内看板で安心!
大塚古墳
案内看板は新しく市で設置したのが有ります。
北村山公立病院内にある方墳で飛鳥時代のものとされる。
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山形藩と上山藩の境界、気軽にどうぞ。
上山藩領境界石標
いつでも気軽に見ることが出来ます。
山形藩と上山藩の境界。
川の流れと信仰の歴史。
南無阿弥陀仏碑
川の流れを見学する事をおすすめします。
村人や旅人の安全を祈願したものだそうです。
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赤川の氾濫原に築かれた横山城。
横山城跡
こんなところに城跡が。
赤川の氾濫原を自然の濠として築かれていたと推測されます。
霞城公園の門跡、圧倒の美。
山形城二ノ丸北門
霞城公園にこの門から入った。
堀と石垣に圧倒されます。
三の丸寺町で歴史の深さを感じる。
会津藩士 堀 粂之助の墓
氏のように責任をとって自ら死を選ぶ方が沢山いたんでしょうね。
三の丸寺町にある同盟の跡。
大カツラの道を寄り道。
女甑の大カツラ
女甑の大カツラという看板が県道にあったので寄り道してみた。
林道が荒れている。
文政六年建立の草木塔。
神原の草木塔
文政六年(1823)に建立された草木塔。
荘内神社参道の隠れ家スポット。
酒井調良翁像(庄内柿の祖)
荘内神社に通じる参道脇にあります。
荘内神社の参道脇にあります。
上杉藩葬礼場跡で歴史を感じる。
大壇葬場跡
上杉藩葬礼場跡米沢藩主の葬儀が行われた場所です。
米沢城本丸遺址の桜、絶景!
米沢城 本丸
米沢城本丸遺址。
桜の花びらがお堀を埋めつくしてとても綺麗いでした。
圧巻の巨木、神代カヤを体感。
神代カヤ
カヤの木は枝が上に伸びず簾状に下に垂れ下がって成長するのでパッと見巨木に見えませんでしたが根元まで近寄ってみると圧巻の幹回りでした。
素晴らしい巨木、枝折れ等の管理が大変そう。
旧街道交差点の美しい松。
芦沢の千年マツ
昔から大切にされたんだろうなー。
形の良い松です。
上小松の歴史を感じる。
市神
川西町指定文化財(昭和44年・1969年指定)解説板より 「上小松は上杉藩政時代より山形県南部の経済の中心であった。
川西町指定文化財(昭和44年・1969年指定)
解説板より 「上小松は上杉藩政時代より山形県南部の経済の中心であった。
南陽市の郡山で出会う神秘のストーンサークル。
蛇壇
蛇壇ですがストーンサークルとも呼ばれていて犬の宮・猫の宮で出てくる大蛇の亡骸を祀ったとこです犬の宮・猫の宮だけでなくここも見るのもいいかとス...
戦後の偉人、酒田の誇り。
大川周明博士顕彰碑
戦後消されたレペゼン酒田の偉人の一人。
見事な樹形が魅力の店。
餅杉
見事な樹形でした。
忠臣蔵の聖地で見守る供養。
大野九郎兵衛の供養碑
供養してほしいです。
この地で切腹を果たした場所といわれる。
一度たどり着けば驚きの空間。
藤沢岩屋洞窟史跡
たどり着けませんでした……結構奥まった所みたいです。
一度現地に行くと凄さがわかります(^^)v
自分の名前がある特別な体験。
べにばな国体ウエイトリフティング競技開催記念碑
自分の名前があるな。
平成4年に山形県で開催されたべにばな国体。
気軽にお参り、心安らぐひととき。
魚籃観音菩薩
いつでも気軽にお参りすることが出来ます。
愛宕羽山の歴史を感じて。
上杉鷹山公籍田碑
遠山町や古志田付近)に作田したことを讃え伝える碑です。
愛宕羽山両所神社の向かいの駐車場の一画に建っています。
小野小町ゆかりの美男塚。
美男塚
畑だらけの眺めの良い場所に建っている塚。
小野小町と縁のある史跡だそうです。
西野の松の大木が目印!
西野安産地蔵と松の大木、湯殿山碑
庚申様を祀りますが、西野地区の松の大木も立派な目印になっています。
砂川沿いの湯殿山碑で癒しのひととき。
湯殿山碑
砂川沿いにある交番の湯殿山碑です。
移籍情報はお任せ!
角二山石器時代住居跡群
移籍があります。
286mの道を歩けば、歴史に出会う。
八ツ沼城跡
トイレ🚾、案内板🪧があった遊歩道を歩くと🚶♂️堀切♪の表示があって 現在は切通しになってた東側から登ると観音堂がある土塁♪の残る曲輪を進むと...
朝日町中世城館、三本城の一つ。
国道345号から羽越本線へ、標柱を目印に!
吹浦石器時代遺跡
国道345号線から羽越本線の踏み切りを通り越した場所に標柱が立っています。
急な石段を越えて、歴史を感じる。
旧神明坂
元文5年(1740)に現在地に建てられました。
ちょっと急な石段でした。
湯殿山碑が語る、修験者の道。
湯殿山碑
この道が置賜に入ってきた山伏や修験者たちの湯殿山参詣道になっていた名残が見てとれます。
1740年の歴史を感じる魅力。
佐竹家住宅
国の重要文化財に指定されています。
良く分からない‼️
郷土の誇り、ここにあり!
愛知大学創設者・本間喜一氏生家
郷土の誇りです。
平家の武者が漂着した島。
源氏盛 平家盛
平家の落人伝説がこの島にもあります。
追っ手から逃れるため武器を捨て、船中で最後を遂げた武者たちや、漁具に持ち替えた刀剣、甲冑を埋めたと伝えられる饅頭塚との説明書きがありました。
米沢の藩校興譲館、歴史の重みを感じて。
藩校興譲館跡
藩校があった場所に建てられた石碑です。
為せば成る為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり。
鈴川の歴史を刻む供養塔。
申洪水碑 蔵王山
文政七年(一八二四)の申洪水の山家地区の犠牲者となった人々を供養し再び洪水の起こることを防ごうと供養した塔なのだそうです。
初めての馬頭塔、驚きの発見!
馬頭塔
馬頭塔というのは初めて見ました。
古墳探検、標柱を目印に!
衛守塚二号墳遺跡
標柱のみで古墳らしきものは見当たりません。
元気を取り戻そう、活気ある空間へ。
野中のうんば杉
少し元気がないように見えました。
樹齢400年の赤松、湯殿山へ!
弘法の渡し
松がなくなっていました。
樹齢400年と言われている赤松が、ありませんでした。
江戸時代の行者が守った松の木!
下塚の松
大きい木は切り倒された跡の切り株が残っているもう1本の松の木は健在由来の看板あり。
寛永年間(1624~45)のこと。
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