蒸気機関車とラッセル車の魅力発見!
旧手宮鉄道施設 機関車庫一号
この車庫には蒸気機関車とラッセル車が格納展示されています。
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土方歳三最初の埋葬地。
五稜郭 一本松の土饅頭
土方歳三が最初に埋葬された場所だそうです。
ようやく訪問することが出来ました。
米町公園で写真を満喫!
釧路港修築碑
米町公園の写メが満杯なのか、投稿できなくなっています。
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7世紀の遺跡跡を体感。
青苗砂丘遺跡
何か特別な遺跡を見ることは出来ません。
石碑から世界の距離を探る。
測量の碑
石碑には世界の都市の方角と距離が記されています。
千畳敷公園の歴史を感じる。
千畳敷公園チャシ跡
千畳敷公園にある史跡表示板。
小樽の大正硝子館で、華やかな硝子工芸品を。
旧 名取高三郎商店
小樽市指定歴史的建造物第7号。
現在は大正硝子館本店として利用されています。
箱館戦争の歴史を感じる場所。
千代ヶ岱陣屋跡(津軽陣屋跡)
①箱館戦争最後の激戦地。
戊辰戦争150周年記念のモバイルスタンプラリーで来ました。
鳥取県士族移住之地
夢幻の色と安逸な緑地。
開拓使札幌本庁舎跡
對的季節,像夢幻一樣的顏色。
鬧區中的綠地公園,安靜閒逸。
板橋・世田谷の隠れ家!
板橋地区跡
板橋だとか世田ヶ谷だとか、、、
謎の記念碑、発見の旅へ!
遭難碑
色々調べたけど何の記念碑かよくわかりませんでした…
色内町にて薄い建物の魅力。
丸ヨ石橋商店別邸
色内町の丸ヨ石橋商店という呉服屋の店主石橋彦三郎氏の別邸
建物の奥行きがなく、随分と薄い。
江戸時代から続く津軽の財!
野口屋又蔵功績碑
なるほどなー江戸時代の中頃に青森から津軽海峡を越えて出稼ぎにやって来てそれから子々孫々着実に財を成したって訳か!
紅葉と桜に囲まれたお城。
松前城 本丸表御殿跡
破風のないスッキリしたお城です。
お城はいつ観てもかっこいいです。
神社入口の鳥居、100mの距離感。
愛宕神社跡
神社入口の鳥居は道路より100m程入った所にあります。
神社に見守られた母校、月寒小学校の思い出。
月寒小学校旧門
神社が見守ってくれている感じがしました。
昭和41年にはじめて小学1年生として入学しました。
吉川銀之丞を讃える特別な石碑。
吉川銀之丞顕彰碑
有島農場管理人や農場解放後の狩太共生農団理事長として尽力した吉川銀之丞を讃えている石碑です。
太古の流紋岩を間近に!
太古の岩
白亜紀〜第三期の1億年前に出現した岩2024-08-17
名前勝ち石って殆どが太古からあるよね。
美唄停車場の赤い布片。
石川啄木の歌碑
研究者で諸説ある。
美唄の駅を通り過ぎた時の句とされている。
羽幌川渡船場跡
有名釣りポイントで絶好の釣果!
大島開発顕彰之碑
有名釣りポイントです!
手塩川と利尻富士、癒しの風景。
川口遺跡風景林
手塩川、日本海、利尻富士が一緒に見ることができる癒されます。
お天気が良いので行って来ました。
札幌出身の船山馨生誕地。
小説家 船山馨生誕地
札幌出身の作家・船山馨の生誕地だそうです。
碑の奥に広がる、静かな時間。
鷹落としの跡の碑
碑があるだけで他には何もありません。
鷹栖町に尽力、中山照重。
中山照重(靜山)歌碑と句碑
中山照重は鷹栖町の開拓に尽力した人物です。
幕末の剣客、新撰組跡地。
永倉新八 居住地跡
新撰組の永倉新八がかつて住んでいた場所ですが…標札しかないのが寂しいです。
今は何もありません。
隠しダンジョンで神秘体験!
小樽天狗山弘法大師八十八ヶ所霊場
お大師さまが祀られていましたが。
隠しダンジョン是非行ってみてください!
樺太國境標石(レプリカ)
明治の香り漂う旧酒蔵で。
登鶴酒造石倉倉庫群
明治期に建造された旧「登鶴」酒造の酒蔵。
大正6年の豪邸、歴史の息吹を感じて。
旧國兼家住宅
庭は子供たちの秘密基地。
1939(昭和14)年に国兼氏に譲渡され現在にいたる。
心に残る見学体験を!
松前藩戸切地陣屋付属火薬庫跡
2025年5月24日に見学しました。
北海道の擦文文化に触れよう。
錦町五遺跡
北海道には北方民族による独自の「擦文文化」が発展していた。
小樽歴史的建物で雑貨探し!
旧早川支店
雑貨屋さんとしてとても良い雰囲気です。
小樽市指定歴史的建造物NO15
シレトの名にふさわしい、岬の恵み。
知人岬跡
碑文より→岬の名はアイヌ語の陸地の突き出たところシレトに由来する。
歴史の舞台に立つ感慨。
ペリー会見所跡
現代に突き進む歴史の舞台となった場所に実際に立ってみると感慨深いものがあります。
その結果、函館 は安政2年(1855年)3月から開港することになりました。
偶然見つけた素敵スポット!
厚別水車器械所跡
偶然見つけた場所です。
独自の養蚕施設、屯田兵の歴史を探る。
旧山田家養蚕板倉
琴似兵村ではその成果がみのって、屯田兵のなかに独自の養蚕施設を持つ人も現われました。
屯田兵として入植した、山田家のもので、草倉期の暮らしぶりを、伝える数少ない遺構である。
忠魂碑・戦没者の碑
加藤建夫少将生家跡
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