幕末志士の墓へ足を運び。
殉国十七士墓の特徴
禁門の変幕末の志士の墓。
2024.05.04宝積寺三重塔の前に建つ石碑。最後まで天王山に立てこもり、最後は自害した真木和泉守ら17名がここに葬られたらしい。しかし追悼する参拝者が絶えず、幕府が墓を暴き遺体は山中の竹藪に打ち捨てたそうだ。その後、ここから30分程の山の中腹に17名の名前が彫られた墓標が建つ。この碑は当初はここに葬られたから建てられたのだろう。
急進的な尊王攘夷を唱える長州藩は、1863年の政変を受け、京から追放された。その失地回復のため、来島又兵衛、真木保臣らが進発論を唱え、禁門の変を起こしたが、薩摩藩、越前藩に敗れ、長州へ撤退した。その中で真木保臣らが敗残兵とともに天王山に辿り着いたが、すでに殿軍は撤退しており、宮部春蔵ら17名で天王山に立て籠もった。大和郡山藩から降伏勧告を受けたが、それを無視し、会津藩兵や新選組の攻撃を受け、一戦を交えたのち、立て籠もった小屋に火をかけ、自爆したことが新選組の記録として残っているそうで、このときの真木保臣の辞世の句は”大山の 峰の岩根に埋めにけり わが年月の大和魂”。陣のあった宝積寺に”殉国十七士墓"があり、幕府が倒れた1868年、彼らの行動が見直され、天王山山頂近くにも墓が整備された。24/03/07、天王山登山の際にお詣りした。激しい時代を過ぎて、今があることに感謝する。
| 名前 |
殉国十七士墓 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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大きな墓碑が聳え立ち 何だか厳かな感じ幕末志士が 自害した場所らしく 存在を知らずに来ました今回はあまり時間がなかったので次回はユックリ見てみたいです。