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かつての風景が2024年5月上旬、柏原宿探訪の際に寄りました。西の見附跡の西側に松並木が僅かながら残っています。江戸幕府は主に以下の目的で街道に並木を植えることを命じています。・夏は旅人に緑陰を与え暑さを和らげ・冬は旅人に風や雪による寒さを和らげ・風雨や日差しから道そのものを守ると今は全国的に残っているところは少なく今となっては貴重な史跡だと思います。また近くに道に関する以下の説明板が設置されています。—————————————————————東山道と九里半街道(古道東山道の道筋)東山道は、横河駅があった梓を中山道と同じ道で東へ進み、長沢を過ぎ、ここ北畠具行卿墓参道入口のある谷間で、中山道と別れ山越えする。徳源院のある清滝へ降り、右へ折れ、成菩提院裏山の北側を東進する。JR野瀬(山)の踏切に至り、再び中山道と合流して、県境長久寺へと向かう。(九里半街道)中山道関ヶ原宿と番場宿の間は、九里半街道とも呼ばれた。木曽・長良・揖斐三川の水運荷物は、牧田川養老三湊に陸揚げされ、関ヶ原宿から中山道に入り番場宿で、船積の米原湊道へ進む。牧田から米原湊までの行程は九里半あった。関ヶ原・今須・柏原・醒ヶ井・番場の五宿は、この積荷で、六、七軒と問屋場が多かった。—————————————————————-とあり大変勉強になりました。