美しい勝浦城跡で散策!
勝浦城跡の特徴
無料駐車場から遊歩道を通り、城跡へ徒歩でアクセス可能です。
勝浦正木氏の居城跡として、歴史を感じる美しい場所が広がっています。
整備された公園内では、土塁跡や堀切を見つける楽しさがあります。
無料駐車場に車を停めて岬の先までが整備された公園になっています。城址といっても石垣もないしもちろん天守もなく面影はないです。
千葉県は勝浦市に有ります「勝浦城跡」です。こちら勝浦城の築城年の詳細は不明ながら、約1100年前の天慶年間(938~947年)平安時代前期〜中期に、興世王(おきよおう)と言う皇族から臣籍降下した王子が築城したのが始まりとされています。(臣籍降下した王子などは賜姓皇族とも言う)この興世王は平将門が関八州を平定し親王を名乗った際に、「上総介」に任じられています。(但しこれは朝廷からの任命では無いので正式な官職では無いとか)。興世王の出自は第50代桓武天皇から出た桓武平氏とされていますが諸説有る様です。(第58代光孝天皇の系統という説も有ります)またこちら勝浦城は、戦国時代には上総武田氏系の真里谷氏が砦として利用しました。その後は里見氏の有力家臣である正木氏が代々在城しています。そして、この正木氏の正木頼忠の娘は、徳川家康の側室となり(お万の方)徳川御三家の紀州•徳川頼宣と、水戸•徳川頼房を産んでをいます。水戸黄門(光圀)はお万の方の孫になります。因みに安房正木氏の出自もまた桓武平氏で、桓武平氏三浦氏流とされています。勝浦城跡は目の前まで車で行けて、駐車場も15台~20台ぐらいは止められます。駐車場からは歩いて5分ほどで眺めの良い「お万の方像」が有る場所まで行けます。長い歴史の中で様々な武将に使われた城跡です。なかなか感慨深いですね。そして、この地で生まれた姫様から徳川御三家を輩出した歴史も興味深いです。皆さんも是非にブラリと訪れてみて下さい。
城址について知識がないので土塁跡・・・とか言われましてもそれがそうと認識できない自分であります。公園一帯が絶壁の上にあり、ここにお城があったというのは納得できる話ではあります。
駐車場🅿️に案内図🪧がある遊歩道を散歩が気持ち良いトコ🚶♂️城跡遺構は改変されてる けど探すと堀切♪が見つかるカモ
勝浦正木氏の居城跡です。海城を見たくて勝浦港より歩き馳せ参じました。遺構は残っていると思うのですが、現道は後世により岩盤を削り作られている為現道上にある尾根伝いに堀切等があるようです。しかし激藪に加え、痩せ尾根な上に断崖絶壁なので滑落でもしたら大怪我で済めば良いレベルです。痩せ尾根伝いに灯台方面を歩くと鳴海神社が鎮座しており、岩盤掘削型堀切が見られますが果たして遺構なのかどうか。ただあの本多忠勝が攻め落とした城でもあるので人それぞれで浪漫を感じる城跡でした。城跡は八幡岬公園となっており、ちゃんと駐車場も設置されています。本丸跡には遊具が設置されているので子供連れには人気の場所です。
2018/12/31とにかく美しい場所。太平洋に出た半島を利用した城であるが、城としての遺構はあまり見当たらない。半島先端の曲輪を詰めとして半島入り口周辺を含めた要塞であったということらしい。勝浦正木氏の本城としてふさわしい城域と要害性である。
岬全体が城趾だと思われるが、公園として整備されていて、無料駐車場もある。曲輪跡らしき平らな部分もあるが、城の遺構を見つけるのは難しい。ただ岬からの眺望もよく、階段とかもよく整備されているので、気分良く見学できる。
トンネルの先に駐車場があり遊歩道を行くとすぐ城跡に着きます。岬の形状をそのまま活かした城跡で公園になっており3郭はお社が有りました。2郭の広場から階段を登り本丸に着きます。夕暮れ時に訪れちょうど日の入りで、夕日が反射して一直線に水面に映る様が見られました。
| 名前 |
勝浦城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0470-73-1658 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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看板はあるが、パッとみてわかるような石垣などは残っていない。