源頼朝の法華堂跡、鎌倉の静謐。
法華堂跡(源頼朝墓)の特徴
源頼朝の墓は静かな住宅街の中にひっそりとあります。
法華堂跡には歴史深い碑が多く点在していて興味深いです。
参拝は学生に人気で、平日でも賑わっています。
令和7年11月14日に鶴岡八幡宮へ参拝する前に訪れました。平家を滅亡し鎌倉幕府を開いた頼朝公に尊崇の念をいだき、鎌倉巡りの計画に入れました。源頼朝は、治承四年(一一八〇)平家打倒のため挙兵、鎌倉を本拠として元暦二年(一一八五)にに平家を滅ぼしました。また、鎌倉幕府を大蔵(現在の雪の下三丁目付近)開いて武家政治の基礎を築きました。正治(しょうじ)元年(一一九九)に五十三歳で没すると、自身の持仏堂であった法華堂(ほっけどう)に葬られ、法華堂は頼朝の墓所として厚く信仰されました。法華堂は後に廃絶しましたがこの丘の上一帯がその跡です。現在経っている塔は、後に島津藩主・島津重豪(しげひで)が整備したものとされます。堂はもと頼朝の持仏を祀れる所にして頼朝の死後其の廊所となる建保五年五月和田義盛死して火を幕府に放てる時将軍実朝の難を避けたるは此の処なり。寛治元年六月五日三浦泰村此に籠りて北条の軍を邀え刀折れ矢盡きて一族郎党五百余人と偕に自尽し満庭朱毅に染めし処とす対象十三年三月建 鎌倉町青年団。
源頼朝の切ないお墓。駐車場はありませんので近くの有料パーキング。頼朝の墓は五層の石塔となっており、もともとは五輪の小さな墓であったものを、安永8年(1779年)に、薩摩藩主・島津重豪(しまづ しげひで)が再建立しました。 源氏の家紋である「笹竜胆(ささりんどう)」の他に、円の中に十の文字を入れた「轡十文字(くつわじゅうもんじ)」と呼ばれる薩摩島津家の家紋が刻まれているのは、そのためです。
マイナスイオンいっぱいの場所です。多分、近所の方が毎日お掃除されているようで、管理されている方がいないのに綺麗でした。すぐ近くに北条義時の墓があります。坂が急でそこそこ遠いので、気分が乗ったら、ぜひ行ってください。いい運動になります。
鶴岡八幡宮から徒歩15分くらいの丘の上にポツンとあります。当時は頼朝を祀る法華堂があったそうですが今は廃絶しており、お墓があるのみです。武家政権を築いた将軍にしては死因も落馬だし、何とも寂しい限りです。ちなみに平日午前中でしたが、観光客は誰もいませんでした。清掃をされていた地元住民の方がご親切に声を掛けて下さり、色々とご説明して頂き有り難かったです。熱弁の余りお話が長いのは玉に瑕ではありましたが。
今は形が無い法華堂は、頼朝が自身の持仏堂として1192年に建立したとされています。持仏堂とは、個人が信仰する仏像を安置するお堂のことで、頼朝は、この法華堂で日々の信仰に励んでいたそうです。1199年、源頼朝は落馬が原因で急逝しました。享年53歳。彼の遺体は、生前に深く帰依していた阿弥陀如来を安置していたこの法華堂に埋葬されたようです。
明治維新の廃仏毀釈まで法華堂が有ったと言われています。明治になってから法華堂に代わりに白旗神社が建立されたと認識しています。廃仏毀釈では鶴岡八幡宮の仏教系の建物が廃され、名称も「八幡宮寺」からも「寺」が廃されたとNHKの歴史番組で見た記憶が有ります。入口に明治維新を推し進めた薩摩藩による石碑が有ります。何か複雑な気分を感じました😑。頼朝公の正室、北条政子さんのお墓は鎌倉の町の反対側、安養院に有ります。並んでいません。けっこう離れています。言わば別居状態です。政子さんの意志なのでしょうか? この事にも複雑な気分を感じました😞。よりとも児童遊園の「頼朝こぼれ話」の解説の通り、石階段は53段でした。これにはスッキリした気分になりました😄。
平日に訪れましたが 学生がとても多く訪れていて 大変混雑していました。
2024年3月29日に参拝しました。正治元年1199年に53歳で亡くなった鎌倉幕府初代将軍源頼朝は、この地にあった法華堂に葬られたそうです。法華堂は廃絶してしまったとのことでした。第8代薩摩藩主島津重豪(しげひで)が、このお墓を再建して現在に至っています。島津重豪は、藩校造士館や明時館(天文館)を設立した蘭学好きの大名として有名です。
2022年7月11日「鎌倉殿の13人」の紀行を見た後に手前の白旗神社などと合わせて訪問しました頼朝のお墓を前にして五重塔って何だろう?と思い見てみたら五重の屋根を持つ仏塔で下から地・水・火・風・空と考え仏教的な宇宙観を表すそうわかったようなわかってないような?!でも面白い話だと思いましたその近くの別の高台には北条義時の墓と案内にはあるけど仏塔?などは何も見当たらずそこから更に階段を上ると大江広元などの墓はあり沢山のお供え物(飲食物)を暑い日に見て傷みが早そうだな?と少しだけ気になりましたその辺り一帯を鎌倉殿の13人で見ている場面と実際の大昔の光景の想像を重ねてみたら感慨深くなりました。
| 名前 |
法華堂跡(源頼朝墓) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0467-61-3857 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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去年、鎌倉殿の13人と逃げ若を見たので、鎌倉で聖地巡礼をしました。北条義時のお墓もこちらにあると勘違いしていたんですけどね(笑)その日は少し遅い時間に着いたので、登って少し回った頃にはすっかり暗くなってしまい、供養に来ていたらしい地元の方に「あまり遅くまで滞在しない方がいいですよ」と声を掛けられました。あのあたりは昔いろいろなことが起きた場所だからだそうです。確かに、事前にWikipediaで調べてみたら三浦一族のことがずらっと出てきたし……私は霊感がまったくないので、特に気にしていませんが(笑)その方と鎌倉殿の話を少ししたら、頼朝推しとのこと。ちなみに私は義時推しですが(笑)こういう出会いも、旅の醍醐味のひとつだと思いますね。あのときの知らないお姉さん、今も元気で供養(推し活?)に通っているといいな。