歴史の息吹感じる紀尾井町。
近江彦根藩井伊家屋敷跡の特徴
紀尾井町の井は井伊家屋敷の由来で歴史を感じさせる。
明治維新まで続いた井伊家の中屋敷があった場所です。
ホテルニューオータニの日本庭園近くに静かな碑があります。
ホテルニューオータニの一帯は、当時彦根藩井伊家の中屋敷でした。上屋敷は現在の憲政記念館周辺にありました。
近江彦根藩井伊家屋敷跡この地には、江戸時代に近江彦根藩井伊家の麹町邸があり、井伊家は外桜田にあった永田町邸(国会前庭一帯)を上屋敷として使用していましたので、ここは中屋敷として使われたそうです。明治5年、この地域は紀伊徳川家・尾張徳川家・井伊家の頭文字を合わせて、「紀尾井町」という町名になりました。 以上 説明書きより抜粋しました。
紀尾井町は紀伊、尾張徳川家と彦根井伊家の藩邸があったので紀尾井町と名付けられたそうです。井伊家の跡はホテルニューオータニの一部になっています。
近江彦根藩井伊家中屋敷があったところです。隠居した主や成人した跡継ぎが住んだところ。こちら元々加藤清正の屋敷があったところですが3代目に改易され、井伊家の中屋敷になったそうです。井伊家のあとは伏見宮家、その後はホテルニューオータニの創業者である大谷米太郎氏が買取り現在はホテルとして利用されています。庭園は宿泊していなくても自由に入れます。私は紀尾井坂を登り切った先にあるホテルのロータリーの右端から入り、駐車場に続く道を歩いて行き庭園に入りました。庭園には井伊家のお屋敷時代の名残がちょこちょこありますよ。お屋敷がありましたよという石碑から始まり、石灯籠、大きな岩(当時からあったのかな?)あと井伊家のお屋敷があった頃から庭にあったであろう大きな木。木には案内の看板があるので通りかかったら見てみてくださいね。結構広いですよ。
ホテルニューオータニ入口の脇道、日本庭園の途中に案内板が立ってます。今は面影はないですが、この一帯は大名屋敷が多かったそうです。
関ヶ原の戦い後から16代にわたって明治維新まで続いた近江彦根藩の藩主家 井伊家の中屋敷があった場所です。今は痕跡らしきものは、何も残っていないようです。井伊家は譜代大名筆頭で、江戸時代を通じて5代6度もの大老職を輩出する名家で、幕末の井伊直弼は特に有名です。
由緒書の看板が設置されています。周りに緑がありベンチで休むこともできます。
ニューオータニ日本庭園に上智大学側から入るとっそりと碑が立っています。日本庭園を散策しながら歴史を感じるのも良いでしょう。
ホテルニューオータニの一帯は、彦根藩井伊家の屋敷であった。
| 名前 |
近江彦根藩井伊家屋敷跡 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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たまたまニューオータニに行った時に見かけました。敷地の隅の方に、石碑と説明用の案内板があるだけでした。