大久保利通終焉の地、清水谷公園。
右大臣大久保公の慰霊碑の特徴
清水谷公園内に建立された、大久保利通哀悼の石碑がある場所です。
紀尾井坂の変で命を落とした大久保利通の終焉の地がここです。
明治21年に建立された、約6メートルの立派な碑が存在しています。
紀尾井坂の手前の清水谷に沿って清水谷公園があり、その中心に大きな顕彰碑がある。明治11年に発生した紀尾井坂の変で落命した大久保利通を哀悼する石碑である。表面には気づきにくいが2頭の龍が彫られており、裏面には大久保利通の事績が刻まれている。
「紀尾井坂の変」により命を落とした内務卿 大久保利通を哀悼する石碑が、紀尾井坂の下側にある清水谷公園に建立されています。また、当初は「紀尾井坂」で襲撃されたとされていましたが、実際の襲撃された場所も、紀尾井坂ではなく、ここ清水谷のあたりでした。高さ約6mもある大きな石碑ですが、太政大臣三条実美が揮毫した「贈右大臣大久保公哀悼碑」という文字が刻まれた前面には、その隙間を埋めるように大きく龍がうねり、背面には隙間なく刻まれた文字で覆われていることが分かります。
(2023/02/12 追記)紀尾井町通の議員宿舎前に大久保公の受難地を示す登録がありましたので、ここには何もないよという意味でコメントさせていただきました。いつの間にやら消えており、当コメントも哀悼碑に紐づいています。で、哀悼碑にコメントした文章や写真が消えています。不思議ですね(笑)グーグルマップのこの地点には、特になにも見つけられませんでした。早朝にうろうろしていましたので、議員宿舎のお巡りさんに怪訝に見られていたかもしれません。ただ、このあたりで襲われたのは間違いないのでしょうからその意味でも想像力を働かせることができます。隣接の清水谷公園に「贈右大臣大久保公哀悼碑」があり、そちらで解説を読むことができます。
現在の紀尾井町、清水谷公園内にひっそりとあります。大久保利通卿、終焉の地です。
紀尾井町 清水谷界隈を散策した際に清水谷公園を訪れました。哀悼碑は 園内に建っています。説明文を読んで歴史の一端を知ることができました。
執拗に斬られていたそうですね(T_T)
公園の中に大きな石碑があり、流石、明治維新の立役者と感心したりビックリしたり。都心とは思えない森のような公園の中なので相応しいかと。実際の場所は、議員宿舎の工事中なので、少し雑然としてます。
維新に乗り遅れた不平士族が大暴れ。ぎゃふん。
清水谷公園内に有りますが、工事の囲いに邪魔されてパッと見ではわかりにくいです。公園内に入ればすぐわかります。
| 名前 |
右大臣大久保公の慰霊碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP |
https://www.edo-chiyoda.jp/knainobunkazai/bunkazaisign_hyochu_setsumeiban/2/3/192.html |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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大久保利通が倒れた場所天国で西郷とはどんな言葉を交わしたのか道半ば、冷遇された士族のガス抜きに命を捧げる結果となったが、出自が同じ仲間にやられるのも、これまた良かろう!こんな器の大きな話を交わしたのかも実際は犯人を一喝したとか、逃げ回ったとか。