江戸時代の鐘が響く、十思公園の情景。
石町の時の鐘(銅鐘)の特徴
江戸時代に庶民に時刻を伝えた時の鐘が残ります。
日本橋石町にあった鐘は昭和5年に移設されました。
公園内で夕方に夕焼け小焼けのメロディーが流れます。
十思公園内にある江戸時代の「石町時の鐘」です。かつては江戸の町に時を知らせていた鐘で、現在の銅鐘は文化財として残されています。
伝馬町牢屋敷の跡地の一部、十思公園。ここに300年以上前に作られた鐘があります。かつて江戸市中に時刻を知らせていました。
もともとは1626年(寛永3年)本石町にあった鐘ををここに移設した物のようです。金自体は何度か修理、再生はされてるようです。現在は立派なコンクリート製の鐘楼に下がっています。
基本的に建物は立ち入り禁止なのですが、立ち入り禁止の方法が工事現場のようなのでもっと雰囲気を壊さないように考えてもらいたいです。
江戸市中に時を知らせていた「石町にあった鐘」が十思公園へ移転されて残されています。「石町は江戸を寝せたり起こしたり」と川柳にも詠まれたほどで、鐘の音が聞こえる範囲の町からは「鐘楼銭」を集めて維持・運営が図られていました。とは云え、どうして十思公園に?と思いましたが、十思公園にあった伝馬町牢屋敷で処刑がある場合、鐘撞き役が慮って鐘を鳴らすのを遅らせたといった話もあり、納得しました。たぶん、吉田松陰先生も最期に聞いた鐘の音が、こちらの鐘だった訳です。
この鐘は、もとは現在の日本橋室町にあったものが、昭和5年(1930年)に移設されたものです。本来は江戸市中に時を知らせる鐘なのですが、それは同時に受刑者に覚悟を迫る鐘でもありました。ときには、鐘撞き役が、意図的に遅れて鳴らしたという話もあります(とはいうものの、結果は変わらないのでしょうけれど)。
元は下町の中心日本橋石町にあった時刻を告げる鐘この鐘が聞こえる範囲がいわゆる江戸のちに江戸拡大により浅草など郊外にも鐘が出来たがそのエリアを場末と呼ぶ。
夜もライトアップされていて良いよね❗
江戸時代の一日は、明け六つを知らせる鐘の音から始まった。最初に捨て鐘を三回鳴らして時を告げる合図をしたのち、時刻の数だけ鐘が撞かれた。時の鐘は寛永三年(1626)に現在の日本橋石町(こくちょう)に設けられたのを皮切りに、幕末までに浅草寺・寛永寺・目黒不動など10か所以上に設置された。人々に時刻を告げる方策として、江戸市中に「時の鐘」が設置された。江戸城で太鼓が鳴ると、石町の時の鐘がまず撞かれ、その音を聞いた近くの鐘楼が順次、鐘を撞いていった。
| 名前 |
石町の時の鐘(銅鐘) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
03-3551-2167 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.chuo.lg.jp/a0052/bunkakankou/rekishi/tokyobunkazai/dosyokokutyotokinokane.html |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
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東京メトロ 日比谷線 小伝馬町駅のすぐ近くです。十思公園内にあります。