歴史深い亀塚観音、江戸の静寂。
済海寺の特徴
古典文学『更級日記』に登場する歴史ある寺院です。
江戸三十三観音霊場の第26番札所として訪れる価値があります。
フランス公使の宿舎としても利用された特別な歴史を持っています。
ここは、美しい観音様の像があるお寺で、平安時代にかかれた古典文学の更級日記にかかれた伝説の竹芝寺の跡地であり、1859年(安政6年)に日本初のフランス公使館が置かれた歴史的な場所ですね。
私の家内が檀家である為、墓参等でお世話になっております。いつも応対をしていただく住職の奥様に世話を焼いて頂いたり優しいお言葉をかけて頂いたりと、とても感謝しております。墓地内等敷地内もいつも清潔に保たれ、とても気持ち良く墓参をさせて頂いております。
古典文学『更級日記』において、竹芝寺とされている寺院が、現在の済海寺であるとの説があります。
この寺が開山されたのは今から400年以上の1640年代にさかのぼります。無限聖と言われるお坊様です。その御本堂の仏像は遠く平安時代の物を京都から運んだと言われてます。たまたま近くに有りました尾張松平家の上屋敷内で乗馬の練習をされておられたお殿様が間違って落馬されお亡くなりになり困って近くにあった当寺にて仮葬儀を行いました。これを知った徳川家康様がこの寺に1200坪の領地をあたえ同時に本堂の裏手、土手側に檜製の念仏堂を経てその小さな念仏堂は昭和の20年の終わり頃まで残っておりました。その頃に建立された尾張松平家の墓は管理費を寺に長年収めなかった事で2015年ごろ荒れ果てた大きな墓石は撤去されました。又、長年残っておりました小さな本堂は高台の崖が年々少しずつ崩れ落ち危ない危機になっていましが1996年ごろから3年越しで現在の鉄筋の新本堂となり、崖側の基礎工事に丸15ヶ月も掛かけ完成した頑丈な建物となりその総工事金額には現在の住職の前の久家道閑前住職が全てを投げ打って行いました。お陰で昔の本堂寄りも5メ-タ-以上もが下よりに移動したお陰で来訪者の車の数台前に駐車出来る様になりました。現在の頑丈な本堂も前住職の御苦労によって完成され、昔からの本堂の柱は解体時には白蟻に殆ど虫ばれていた状況でした。この地は1945年3月10日の大空襲でも被害を火災から免れたところで焼け残った所です。寺の前の道路名が聖坂と言われるのも初代住職の名から取ったもので1630年ごろまでは東海道として使われた旧道の残りです。浄土宗の末寺であり既に近々400年目を迎えようとしております。
江戸三十三観音の参拝でお伺いしました。浄土宗のお寺で周光山長寿院済海寺といい、霊場第二十六番札所になります。お寺の本尊は阿弥陀如来です。越後長岡藩主の牧野駿河守忠成によって開かれ、以後牧野家の菩提寺とされてきました。お寺の境内に亀塚があったことから「亀塚山:きちょうさん」と呼ばれていました。済海寺の霊場御本尊の観音様は、亀塚正観世音菩薩で亀の甲羅の上に乗った観音様です。
綺麗で近代的な境内で、参拝しやすいお寺でした?、
江戸33観音巡礼の26番札所。安政6年(1859)に最初のフランス公使宿館が置かれた。
(18/08/03)江戸三十三観音霊場 第26番札所「亀塚観音」御朱印をいただきました。(15/09/05)江戸三十三観音霊場 第26番札所「亀塚観音」御朱印をいただきました。浄土宗の寺院。本尊:阿弥陀如来JR山手線:田町駅より800m。都営地下鉄三田線:三田駅より650m。
江戸時代に初めてフランス公使の宿舎として使用されました。この辺にはヨーロッパ各国の公使の宿舎として使われたお寺が結構あります。
| 名前 |
済海寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
03-3451-1082 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
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坂の上にあります。東京都心ですが、けっこう登ります。フランス公使宿館跡があります。