日蓮上人初説法の地、奥之院。
法華経寺 奥之院の特徴
富木常忍の墓所がある法華経寺奥之院です。
日蓮上人が初めて説法した歴史ある地です。
滝壺まで近寄れる滝があり、自然を楽しめました。
正中山法華経寺奥之院は大本山法華経寺から徒歩20分位の場所に位置しています。ここでも御首題を頂く事が出来ます!
富木常忍(1216-1299)の墓所がある法華経寺の奥之院。元々はこの場所に法華経寺があったようで、富木常忍の屋敷の跡地とのこと。法華経寺から徒歩10分ほどの場所にあり、本堂内で御首題を頂けました。
法華経寺の鬼子母神堂に向かって、右側にある駐車場から見える案内に従って行くと、徒歩10分程度で到着します。法華経寺方面から歩いて行くと、閉められた門が見え「今日は閉まってるのか」と思いましたが、これは日常上人 廟 (にちじょう しょうにん びょう) への出入口で、その左側へ少し進むと境内への出入口があります。鎌倉時代、下総国の守護職 千葉頼胤 (ちば よりたね) に仕えた富木常忍 (とき じょうにん / つねのぶ) は、八幡荘 (やわたのしょう) 若宮と呼ばれたこの地に屋敷を構え、市川・国府台 (こうのだい) の問注所に勤めていました。幕府のある鎌倉との間を船で往復していたおり、たまたま日蓮と同船し、その教えに帰依し熱心な信者となりました。1260年 (文応元年)、日蓮は鎌倉の松葉ヶ谷 (まつば が やつ) で焼討ちにあったとき、富木常忍を頼って若宮に難を逃れ、この時、富木常忍は屋敷の中に法華堂を建て、日蓮を迎えて説法を願いました。さらに1264年 (文永元年)、日蓮は母の看病のため、故郷の安房へ帰っていたときに、小松原で東条景信 (とうじょう かげのぶ) に襲われた後も、若宮に身を寄せました。富木常忍は法難のおりに日蓮を保護し、1282年 (弘安5年)、日蓮の入滅後に出家して日常と号し、法華堂を改めて法花寺と称しました。この法花寺は後に中山の本妙寺と合体して法華経寺となり、日常を第一世とし、法花寺はのちに奥之院と称されるようになったそうです。境内は広くはありませんが、本堂の他、弁財天などが祀られており、私が参拝した時は、かなり立派な滝が音を立てて流れていました。本堂の中は、かなりの数の仏像が置かれていて、一見の価値はあります。本堂に入った右側で、御朱印と御首題がいただけます(志納料は「お気持ちで」とのこと)。
数年ぶりにお伺いしました。法華経寺から、5分程緩い上り坂を歩きます。現在は住宅街なのですが、さぞかし眺めの良い場所だったのかなと?思いながら歩く。有志の方が綺麗に掃除されていて、とても清々しい場所です。ご住職らしき方はとても気さくで知っている事は惜しみなく教えて下さいました。日蓮上人は鎌倉から船で来たのではないかと。暫し、上人の存在を感じられる場所なのではないでしょうか?世界三大荒行を行う場所の一つでもあります。千葉にこんな所があるとは。
奥之院若宮館跡 富木常忍の館市川七福神の一つ弁財天も祀られています。入ると左手に日常聖人像、本堂と続きます。拝殿の奥には見事な滝があります。見どころが多いところです。鎌倉時代の中頃、下総国の守護千葉頼胤に仕えた富木常忍は、八幡荘若宮と呼ばれたこの地に館を構え、幕府のある鎌倉との間を往復しました。そこで、たまたま布教に懸命だった日蓮と出会い、熱心な信者となったのです。そうしたところから、文応元年(一二六〇)日蓮は、鎌倉の松葉ヶ谷で焼討ちにあったとき、この常忍を頼って若宮に難を逃れました。この時、常忍は館の中に法華堂を建て、日蓮を迎えて説法を願いました。さらに日蓮は、文永元年(一二六四)安房の小松原で東条景信に襲われた後も、若宮に身を寄せました。この若宮法華堂で開かれた日蓮の説法は、実に百回に及んだといわれます。この地が日蓮の「初転法輪の旧跡」とされるのは、この理由からです。このことで中山の大田乗明、曽谷の曽谷教信など、日蓮の信者になった人々は多く、また日蓮にまつわる数多くの伝承も残されています。弘安五年(一二八二)日蓮の入滅後、常忍は出家して日常と号し、法華堂を改めて法華寺と称しました。この法華寺は後に中山の本妙寺と合体して法華経寺となり、日常を第一世とし、法華寺は奥之院と称されるようになりました。いまでも土が高く盛られ、大樹の繁っている部分は、往時の館を取り囲む土塁の一部で、この館の跡を「若宮館跡」と呼んでいます。(案内板より)
日蓮宗の創始者・日蓮がはじめて説法をした場所です。又、日常が法華寺(後の法華経寺)を建立した場所でもあります。元々は日常の自邸で、彼は幾度も迫害された日蓮のためにここに法華堂を建て、日蓮の安息の地を提供しました。法華堂は日蓮の死後に法花寺となり、日蓮に檀越であった日高が創始した本妙寺と合併して法華経寺となりました。境内には弁財天が祀られています。奥の院と言われている通り、法華経寺からは住宅街を十分ほど歩く必要があります。訪れたのは朝方だったので静かな雰囲気でした。
日蓮宗の創始者・日蓮がはじめて説法をした場所です。又、日常が法華寺(後の法華経寺)を建立した場所でもあります。元々は日常の自邸で、彼は幾度も迫害された日蓮のためにここに法華堂を建て、日蓮の安息の地を提供しました。法華堂は日蓮の死後に法花寺となり、日蓮に檀越であった日高が創始した本妙寺と合併して法華経寺となりました。境内には弁財天が祀られています。奥の院と言われている通り、法華経寺からは住宅街を十分ほど歩く必要があります。訪れたのは朝方だったので静かな雰囲気でした。
法華経寺の駐車場から見えた案内板に従って行きました(徒歩で)。途中、石でできた古そうな案内を見つつ坂をのぼります。左側にパン屋さんがある交差点を右へ、すると「奥之院」の看板が見えましたので無事に到着です。入口は簡潔な門柱が立っているだけですが(失礼ながら)、本堂は立派です。法華経寺の発祥の地のひとつでもありますね。本堂への階段を上がると、お寺の方が「中へどうぞ。」促して頂きましたので、本堂の中でお詣りができました(中に授与所があり御首題もそこでいただきましたので、結果的には本堂に上がるのでしたが)。本堂から下りると、日常聖人の墓所への入口がありました、入って良いか分からなかったので、入口にて手を合わさせていただきました。
はじめて法華経寺の奥の院を参拝させて頂きました。境内は水子さんの供養の為の地蔵様が多数あり全てにお線香を焚いてお参りさせて頂きました。御堂は神社の拝殿に似ている風貌でビックリしました。中は入れるみたいです。御堂脇の弁天様が祀られていて水は流れていませんでしたが小さな滝もありました。御堂の左側には日蓮様の像も立派でした。小さい敷地に見所がある奥の院で参拝できて良かったです。また参拝させて頂きます。
| 名前 |
法華経寺 奥之院 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
047-334-0221 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~16:00 |
| HP |
https://hokekyoji2101.wixsite.com/nakayama/blank-1?lightbox=dataItem-io2g0tnl1 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
法華経寺の道をゆく時に奥之院の存在を知り参拝しました。駐車場がなく、法華経寺から徒歩で向かいました。意外と遠く感じました。境内で、京都御出身の住職さんがおられ、大阪の此花区にいた方が色々とお話してくださいました。鎌倉時代、日蓮の有力な檀越だった富木常忍が、自邸のそばに法華堂を建てたのが始まりとされます。日蓮がこの地で百日間の説法を行ったと伝わる堂で、後に寺院として発展し「法華寺」と呼ばれるようになりました。富木常忍はのちに出家して「日常」と名乗り、この法華寺の開山になります。奥之院本堂自体の細かい構造・年代・様式までは公式に詳述されていません。