名馬大黒の碑で歴史探訪。
名馬大黒の碑の特徴
名馬大黒の碑は、山間にひっそりと佇む歴史的な石碑です。
上宝町在家の自然の中にあり、訪れると穏やかな気持ちになれます。
訪問者が少なく、静かな雰囲気を楽しめる史跡です。
名馬大黒の碑(めいばだいこくのひ)は、上宝町在家(かみたからちょう・ざいけ)の山間にひっそりと佇む史跡です。飛騨という土地の名前の由来とも言われる伝説の黒馬「大黒(おおぐろ)」を記念して建立されたもので、高山市の文化財にも指定されています。飛騨地方は、古代から馬産地として知られていました。その中でも約1300年前、奈良時代初期の702年(大宝2年)、第42代文武天皇の時代に、飛騨国から都に献上された黒馬が特に有名で、これが「大黒」という名馬でした。『続日本紀』にも、この献上が吉兆として大きな喜びをもたらし、全国規模の恩赦が行われるほどだったという記録があります。この黒馬は単に立派だっただけでなく、まるで空を飛ぶように走るというほどの評判で、後に「飛騨」という地名も「飛ぶ馬」という意味を込めて713年(和銅6年)に改められました。もともと斐陀(ひだ)と記されていた地名が、この名馬大黒の伝説をきっかけに飛騨と表記されるようになったと伝えられています。また、この馬の評判は奈良時代の万葉歌人たちの間でも有名になりました。万葉集巻十六の3844番の歌に、「ぬばたまの 斐太(ひだ)の大黒 見るごとに 巨勢(こせ)の小黒し 思ほゆるかも」という一首があります。この歌は、「飛騨の真っ黒な大黒という馬を見ると、巨勢の小黒という人のことまで思い浮かんでしまう」という意味で、当時の宮中で色黒な人をからかう洒落歌として詠まれました。万葉集にこのように記録されていることからも、大黒という馬が都でも広く知られた存在だったことがうかがえます。名馬大黒の碑は、上宝町の駒ケ鼻峠(こまがはなとうげ)にあります。この峠付近は伝説の舞台となった場所で、古くは「駒ケ原」と呼ばれていました。明治時代に、地元の人々が郷土の誇りとして伝説を後世に伝えるため、この碑を建立したものです。碑の隣には、万葉集の歌を刻んだ「万葉歌碑」も並んで建てられています。訪れると、苔むした碑には名馬大黒之碑と力強い文字が刻まれており、隣の万葉歌碑には例の一首が彫られ、現代語訳も添えられています。「この地が名馬大黒の故郷であるため、ここを駒ケ原と名づけた」と記された碑文を読むと、古代から続く地域の誇りと歴史の深さを感じます。周囲は静かな森に包まれていて、観光地の喧騒からは遠く、時代を超えた不思議な落ち着きがあります。地域では今もこの伝説が息づいていて、高山市内の学校や地名にも古い斐太の表記が使われるなど、歴史的なアイデンティティが守られています。碑の存在は飛騨という土地の由来や歴史、そして古代の文化を伝える大切な役割を果たしています。飛騨を訪れた際には、ぜひ名馬大黒の碑を訪ねて、この地に伝わる歴史と伝説に触れてみることをおすすめします。特に古代史や万葉集、馬に興味のある方には、静かな感動をもたらしてくれるスポットです。
いわれをしるした碑がある。本当の碑は昔誰かが埋めてしまったから、その説明の碑を建てたと言う事らしい。
| 名前 |
名馬大黒の碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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こんなところによく石碑を建てたなと…