埼玉の歴史、115mの古墳。
野本将軍塚古墳の特徴
埼玉県で第2位の規模を誇る前方後円墳です。
全長115mの巨大な古墳が立派に保存されています。
隣接の市民活動センターからの眺めが絶景です。
かなり太くて古い木が道路側にあり、歴史を感じます 日本中どこにでもよくある、日露戦争の記念碑がある。古墳はわかりづらい。一般向けの歴史スポットではないが、歴史マニアにはよい。無知な人が来たら何も無いの一言になる。
野本小学校の南、東松山台地の南縁に所在する前方後円墳です。現存する墳丘は長軸で115メートルあり、後円部墳頂には利仁神社が鎮座しています。平成29年(2017年)に実施した非破壊調査で、この古墳が築造当時には前方部二段、後円部三段の立体構造を持っていたことや、後円部に埋葬施設が遺存している可能性が高いことがわかりました。これらのことから、この古墳が古墳時代前期に築造された、当時埼玉県内(北武蔵)最大の前方後円墳であったことがわかりました。神社の反対側には忠魂碑があります。
「将軍塚」という名前、強い。少し離れた嵐山には将軍沢、将軍神社など坂上田村麻呂に関連したと思われる史跡や地名がある。でも田村麻呂がこの辺りに来たのは西暦で800年頃の話で、古墳時代とは異なる。ということで埋葬されている方は別の方だろう。では「将軍」塚の名はどこからきているかというと利仁神社の名前の由来になっている藤原利仁からということだ。
日露戦争の慰霊碑がありました。かなり大きいです。
埼玉県における古墳時代前期の前方後円墳では、屈指の大きさを持つ古墳らしいです。近くに東松山市文化財センターもあり、考古遺物をみることができます。
古墳の規模は埼玉県で第2とのこと。
古墳時代前期の古墳でとても保存状態が良く、立派な前方後円墳です。前方部には陸軍大将金谷範三書による忠魂石碑があります。石碑の裏側には、西南戦争、日清戦争、日露戦争などなどにこの地より出陣した兵士の名が刻まれています。後円部には盗掘を防ぐ目的か利仁神社があります。この古墳山全体が植林によって風化からしっかりと守られています。南側には都幾川と新江川に挟まれた肥沃な土地が広がっています。東松山に続く北側の台地には有力な一族が存在したのでしょう。その後も野本陣屋が古墳山の北に隣接していることなどから、この地が有力者にとって政治的に意味のあるものであったことが想像できます。そして、古墳山に登り、富士山や東秩父の山々を眺めていると、遥か古墳時代の人々がこの地で生活していたことが偲ばれます。駐車場は隣接する野本活動センターが便利です。
前方後円墳では関東最大級!
全長115m、大型前方後円墳。前方部が後円部に比しのっぺりと低い古式のもの。おそらく、さきたま古墳群成立以前の建造で、当時はこの地方に首長クラスの権力者が在地していたことを物語っている。その後、何らかの理由(例の武蔵国造の乱〜小熊の失墜など大和朝廷の介入だろう)で権力布置が変わり、行田地方へ埼玉中部の政権中枢が移動したと考えられる..、なんて勝手に妄想。未発掘だそうだが、古式ぽいので後円部山頂に竪穴式石棺があるのかもしれない。神社が建ってしまっているので発掘は難しそう。鎌倉武士の野本一族の館がすぐそばにあったそうだが、古墳を信仰対象とすると同時に防衛施設に利用していたのかもね。将軍塚だけに戦前は軍人の武運祈願が多かったようで、在郷軍人会が利仁神社へ金500円寄付とな。
| 名前 |
野本将軍塚古墳 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.higashimatsuyama.lg.jp/soshiki/55/3719.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
古墳時代前期では埼玉県内最大規模の前方後円墳。