水戸光圀公生誕地の神社で歴史を感じよう。
水戸黄門神社の特徴
水戸黄門公の生誕地に鎮座する神社です。
小さな神社ながら水戸の歴史を感じられます。
駐車場の近くに位置しアクセスも良好です。
光圀は水戸藩初代藩主、徳川頼房の三男であり徳川家康の孫に当たるそう。頼房の側室との子で、頼房から堕胎するように命じられたが、三木家の屋敷でひっそりと産まれたそうです。この神社は、その屋敷跡だそうです。
2025/12/30これほど歴史を感じさせない神社も珍しいと思うがテレビドラマでの水戸黄門のせいでもあるのかな。
江戸前期、「義公」こと2代藩主徳川光圀(水戸黄門)は家臣の三木之次の屋敷で生まれ、4歳まで三木家の子としてここで養育された。その地に子孫である三木啓次郎が松下幸之助の支援を得て昭和中期に祠堂を創建。テレビドラマ時代劇「水戸黄門」の誕生にも関わる。光圀の母、久子は当初側室の身分ではなかったなどの諸事情から中絶の命があったそうだが三木夫妻の取り計らいで無事出産することができた。大正初期、之次の子孫の三木啓次郎が桜田門外の変後に自刃した水戸浪士の供養ために大阪の四天王寺境内を訪れた際、二股ソケットを売る青年の松下幸之助がおり、経済的に困窮していると話を聞くと、自身の水戸の田畑を抵当にして援助。その後、二股ソケットは大ヒットとなり、松下電器(現パナソニック)は日本を代表する大会社となる。恩返しをしたいと考えた結果、昭和中期、松下電器1社提供として「水戸黄門」が放送開始。約40年間放送され、日本国中に水戸黄門の名を広めた。
茨城県水戸市三の丸2丁目に鎮座している「義公祠堂(水戸黄門神社)」です。とても小さな神社で歴史は意外と新しく創建は1972年(昭和47年)です。水戸市史跡に1953年(昭和28年)に「義公生誕の地」と指定(近くに水戸黄門誕生の地の銅像があります)されています。神社⛩️は「常磐神社」が管理しています。
2024年12月27日に参拝しました。黄門様こと2代水戸藩主徳川光圀は、寛永5年1628年にこの地にあった重臣三木仁兵衛之次(ゆきつぐ)の屋敷で産まれました。初代水戸藩主徳川頼房から側室(谷久子 靖定夫人)の子であったためか、水子にするように申し付けられていたそうです。之次が匿って自邸で養育し、5歳の時に認知されたそうです。之次が、匿っていなかったら、水戸学も生まれず、幕末の様子も変わっていたかもしれないと思いながら参拝しました。
水戸駅から徒歩数分の所に鎮座されております。水戸黄門神社の絵馬が奉納されていましたが社務所などありませんでしたのでどちらでお受けすれば良いか分からず。
2024年6月17日 生誕地とこの神社の関係が難しかったです。神社の敷地内に生誕地と書いてありますがグーグルマップは少しだけ離れていますね。
水戸駅を降り 駅周辺の時間潰しで 訪問 参拝しました。北口から少し東側へ 徒歩数分の所に位置します。神社というよりは 祠ですね。休日の朝という事もあり 私以外にも 幾人か参拝していました。
水戸光圀公の生誕の地にある神社です、小さな神社ですが風格はあります。水戸駅から近く徒歩で行ける距離なので気楽に立ち寄れます。
| 名前 |
水戸黄門神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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黄門様こと水戸光圀公を祀った神社。光圀は寛永5年(1628年)6月10日、水戸藩主・徳川頼房の三男として江戸小石川の水戸藩邸で生まれました。光圀の誕生には、当初から複雑な事情がありました。母は久昌院(側室・谷氏)ですが、頼房は子が多くなりすぎることを懸念しており、側室の懐妊を知ったとき、堕胎を命じたとされています。しかし、家臣の三木之次(みき ゆきつぐ)がこれを諌め、密かに懐妊を続けさせました。三木之次は「もし男子であれば、私が責任をもってお育てします」と申し出たとも伝わっています。生まれた光圀は、しばらくの間、三木之次の屋敷で密かに養育されました。実の父・頼房のもとへ引き取られたのは3歳のころとされています。その後、頼房も光圀を認知し、正式に藩主の子として育てられることになりました。光圀は三男でありながら、後に水戸藩の第2代藩主となります。本来であれば長男・頼重が藩主となるべきところ、頼房は光圀を後継に指名しました。光圀自身はこれを生涯の心の負債と感じており、それが兄・頼重の子(綱方)を自らの養子にして高松藩主とすることへつながったとも言われています。