薩摩義士墓所、歴史を感じる。
宝暦治水 薩摩義士墓所の特徴
宝暦治水 薩摩義士墓所は、平田靱負を中心に22名の墓石が並ぶ歴史深い場所です。
三重県桑名市の海蔵寺境内にあり、お寺の隣地から見学可能です。
治水工事のために尽力した薩摩藩士たちの墓所として意義深いスポットです。
宝暦治水 薩摩義士墓所三重県 桑名市に位置し「海蔵寺(曹洞宗)」の境内にあります。海蔵寺のホームページでは「薩摩義士のおかげで今がある」と感謝の言葉が記されています。1754年(宝暦3年) 幕府は、洪水の多かった木曽三川分流工事を薩摩藩に命じました。島津藩主 島津重年は家老 平田靱負(ゆきえ)を総奉行に命じ、工事に携わった薩摩藩士は947名いたそうです。工事箇所は200箇所以上。工事費用は大半が薩摩負担でした。薩摩負担が40万両(薩摩藩収入の2年分以上)。幕府負担は1万両でした。資材運送料•人件費は すべて薩摩藩の負担でした(幕府の命令は無茶苦茶です!)。1人目の犠牲者は永吉惣兵衛で、届け出では「腰の物にて怪我」でしたが、国許の家族には遺言書が届けられており、幕府への抗議のための自害のようです。翌1755年に工事は完了。合計84人が命を落としました(うち51人が自害)。総奉行の平田靱負も 辞世の句「住みなれし 里も今更 名残にて 立ちぞわずろう 美濃の大牧」を残し自害しました。(「美濃の大牧」とは現在の養老郡養老町で、平田靱負がここに常駐し 現場の把握、国許への応援要請、金策等にあたった場所です。)他には幕府役人で自害した者や「人柱」としての犠牲者もあったようです。ここ海蔵寺には平田靱負の木造があります。鹿児島には平田靱負の銅像があるそうです。また、岐阜県 海津市には「治水神社」があり、平田靱負及び84名の薩摩義士を供養しています。旧東海道歩きの途上で参拝しました。日本橋から歩き始めて(24日目)、宮の七里の渡しの後は 桑名駅から再開。→ 桑名の七里の渡し→ 蟠龍櫓→ 大塚本陣→ 六華苑→ 桑名城→ 桑名宗社→ ここ薩摩義士墓所 の順で歩き、おおよそ2時間くらいでした。(2026年3月)
お寺左側、治水工事の為に悪戦苦闘した薩摩藩士達の墓所、中心に平田靱負、左右に22名の墓石が在ります。
| 名前 |
宝暦治水 薩摩義士墓所 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0594-22-3274 |
| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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お寺の隣地にあり公道からも見学できます。