卑弥呼時代の国宝、平原王墓。
平原遺跡 平原王墓の特徴
日本史上最大の八咫の鏡が出土した遺跡です。
女王卑弥呼よりも古い歴史的意義があります。
国宝が多数出土している平原王墓です。
2025.10/24訪問しました日当たりの場所によって満開で1部過ぎているところとまだ蕾のところと色々ありました。天気よかったので青空にめっちゃ秋桜映えるのでオススメです。記念撮影しに何人も来られてました。
日本史上最大の八咫の鏡も出土してるそう。本当に被葬者が天照大御神だったとすれば大変なことですが、そうでなくても伊都国とは相当大規模な王都だったんでしょうね。
国宝が多数出土した平原王墓(ひらばる)です。近くの伊都国歴史博物館で無料ガイドさんに説明を聞くと理解が深まります。魏志倭人伝にもこの伊都国のことについてはしっかり記載されており、墳墓の出土品などからその史実が確実とされています。
女王「卑弥呼」の時代よりさらに100年古い2世紀半ばの遺跡と言われる、ここ「平原王墓」です!歴史のことは学者に、妄想はYouTube任せて、素直な気持ちでここに立てば、きっと何か感じることがあると思います!
国宝が多数出土した平原王墓(ひらばる)です。近くの伊都国歴史博物館で無料ガイドさんに説明を聞くと理解が深まります。魏志倭人伝にもこの伊都国のことについてはしっかり記載されており、墳墓の出土品などからその史実が確実とされています。
周溝墓かつ方墳で、鳥居跡には10月20日ごろに朝日が墓に差し込むという聖なる墓所。出土した鏡の周尺が八咫であったので八咫の鏡とされ、大日霊貴の墓と考えられた。平原とは女王の丘を指す古語で、福岡市南区の桧原は平原が訛ったとされる。付近には古墳群が多数あり、この地の特異さを感じられる。古墳から高祖山を望みながら古代に思いをはせて欲しい。そんな素敵な場所であります。
伊都国の王の墓です。ここが卑弥呼の墓とする説がありますが、ここが伊都国であるならば違うと思います。普通、お墓はふるさとや出自のあるところに立てたいと、今の私たちは願います。古えからではないでしょうか?(更新)1.古事記の鏡は、まがね(鉄)古事記 上つ巻 天の石屋 より天の安の河原に神集ひ集ひて…(中略)…河上の天の堅石を取り 天の金山の まがね(鉄) を取りて 鍛人天津麻羅を求ぎて …に科せ 鏡を作らしめ (新版古事記 中村啓信 より)以上のとおり、日本の確実な文献において、鏡の初出は鉄製であり、卑弥呼の鏡も当初は鉄製であった、もしくはその当時に鉄製の鏡を国内で製造したと考えるのが、自然です。ほとんど出土していない(大分県日田市で出土しているが、古墳だったかどうか確認できていない)からといって、専門家の方々が何故、銅鏡が数々出土している(おびただしく出土している)考古学的状況と、古事記の冒頭には鉄製の鏡の記述しかない文献学的状況の違いを、明確に説明されていないのでしょうか。知らないだけでしょうか。2.王墓は、魏志倭人伝の径百余歩とは思えない3.卑弥呼の出身地が、博多湾沿岸ではという書き物は読んだことがあります。また、学術発表も見ましたが、そこでの 本貫 という考え方・概念は、果たして当時の日本(西暦300年以前。)にあったのでしょうか? 仮にあったとしても、銅鐸の記憶が失われた(又は、放棄した)ようなものだったのでは、ないでしょうか。(3.を、一部更新しました)(1.を、一部更新しました)
ど素人の勝手な妄想では卑弥呼は甘木朝倉出身で吉野ケ里遺跡の城柵で囲まれた特別な館で暮らし、政治的な判断を祭祀で下し、その政治的権限は伊都国の王が実行した。卑弥呼の墓は平原遺跡と思いたい。これで上手くまとまり平和な世界が訪れる。ギャハハ( ^ω^)・・・
| 名前 |
平原遺跡 平原王墓 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.itoshima.lg.jp/s033/010/020/010/110/010/hirabaru-iseki.html |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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天照大御神のお墓ではないかと言われている古墳。もうそれだけでワクワクが収まりませんね。三種の神器と同サイズの銅鏡が出土しており、今は近くの博物館に国宝として展示されています。本当に天照大御神のお墓だとしたら、古事記の物語がこの辺りで展開されていたかもしれないと思うと、浪漫があふれてきます。が、古墳の規模などは小さいものなのでインパクトは薄めですm(__)m