国指定の文化財、高欄櫓の魅力。
高欄櫓の特徴
大洲城内に現存する貴重な4櫓の一つです。
1860年に再建された重要文化財として保存されています。
江戸時代から続く二層の高欄櫓が見どころです。
江戸時代から残る二層の櫓。一階が渡り櫓で天守と連結しています。二階にも登ることができ高欄がついています👍高欄の付いている現存櫓は少なく、城マニアのツボを突きます!すばらしい♪😆
大洲城 高欄櫓(こうらん 愛媛県大洲市大洲)天守の隣の櫓。安政4年(1857)地震で大破し幕末の万延元年(1860)再建。重要文化財。
明治時代に天守が取り壊された際にも解体を免れて現存する高欄櫓。国の重要文化財に指定されている。三間四方の二重櫓で、二階部分に装飾的な高欄が設けられている。
高欄櫓は1860年に再建された現存遺構で国の重要文化財に指定されている。高欄櫓は二重二階で西と南に高欄がついている。天守とは渡櫓で連結されている。
☆幕末1860年(文久元年)再建された「高欄櫓」👀天守から多聞櫓で連結した高欄櫓は3間(5.4m)×3間(5.4m)と小振りな二重櫓、1階部の南西隅に外観特徴的な「石垣落し」があり内部からも確認、2階部には名前の通り装飾の高欄と屋根下に軒唐破風、丁度、本丸への登城者が見上げる位置にあり見せる外観は品格あり、国指定重要文化財😃
大洲城の高欄櫓になります。現在の建物は本丸よりも古く木材などが良い雰囲気になっています。造りはとてもシンプルですが、眺めはとても良かったです。
高欄櫓は、大洲城内に現存する4櫓のうちの一つで、渡櫓で天守に連結されている櫓です。創建された年代は不明ですが、絵図から江戸前期頃にはすでに建築されていたことがわかります。現在の櫓は安政4(1857)年の大地震により大破したため、江戸末期の文久元(1861)年に再建されたものです。この櫓の最大の特徴は、2階に窓の外へ出るための廻縁(まわりえん)が設けられ、そこに本櫓の名前の由来にもなっている高欄と呼ばれる手摺(てすり)が付けられている点です。高欄は天守につけられるのが普通で、櫓に設置された例はめずらしく、天守に次ぐ高い格式を備えた櫓と考えられます。このような高欄を付した櫓は、全国でも現存しているのは熊本城宇土櫓(うと やぐら)と本櫓のみです。
| 名前 |
高欄櫓 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
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大洲城の高欄櫓は、本丸の南西側に建つ現存櫓で、国の重要文化財に指定されている貴重な建造物です。天守とともに江戸時代の姿を今に伝える数少ない遺構の一つであり、復元木造天守と調和した美しい景観は、大洲城を代表する見どころとなっています。大洲城は、戦国時代の地蔵ヶ嶽城を前身とし、築城の名手・藤堂高虎による大改修を経て近世城郭として整備されました。その後、加藤家が約250年にわたり大洲藩を治め、高欄櫓も本丸を構成する櫓の一つとして受け継がれました。櫓は本来、見張りや防御を担う施設ですが、高欄櫓は外側に欄干(高欄)が巡らされていることからこの名で呼ばれています。実用性を備えながらも意匠性にも優れた、近世城郭らしい建築といえるでしょう。明治維新後、多くの城郭建築が失われる中、高欄櫓は解体を免れ、現代まで受け継がれてきました。2004年(平成16年)には木造天守が史料に基づいて復元され、本丸の景観が往時の姿に近い形でよみがえりました。現存櫓である高欄櫓は、復元天守と並び立つことで存在感が一層際立ち、歴史的建造物と復元建築が調和する大洲城ならではの魅力を生み出しています。高欄櫓を間近で眺めると、木組みの美しさや白漆喰の壁、そして名前の由来となった高欄が印象的で、城郭建築としての機能美を感じることができます。華やかな天守だけでなく、こうした現存櫓にも目を向けることで、大洲城が防御性と美しさを兼ね備えた近世城郭であったことを、より深く味わうことができるでしょう。