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飯塚市史によるとむかし綱分の長者の家にとても美しい娘がいた。ところが十七歳のとき難病にかかり、村人に移るといううわさが広がった。親は神仏の助けがあるかもしれないと、娘を旅に出した。それから年月が過ぎ、ある年の盂蘭盆の日の朝のこと、尼さんになった娘と年老いた母親が石丸井堰の下の深い渕に沈んでいるのが発見された。その周りには黄金が何枚も朝日に輝いていた。その黄金は娘が家を出た後、母親が盆になると帰ってくる娘に与えていたものであった。石丸の人たちは、かわいそうに思い二人の墓を建てて祀った。その後、この所をだれ言うとなく「こがねぼとけ」というようになった。