清張通りの歴史、平和への敬意。
歩兵第十四聯隊之跡 碑の特徴
清張通り沿いに位置し、歴史を感じる場所です。
歩兵第十四連隊を記憶させる重要な礎石であります。
履歴書にも残る小倉陸軍造兵廠の前身がここに存在します。
小倉陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)ができる前、歩兵第十四連隊がこの地に存ったことを示す碑であってお墓ではありません亡くなられた方々の霊は足立公園内の忠霊塔に祀られています。
日本の為に命を落とされた方々…今の平和な日本があるのは皆さんのお陰です。改めて感謝させて頂きました。
歩兵第十四連隊趾之碑は、中央図書館と「北九州市平和のまちミュージアム」の間あたりに、奥元帥誕生地之碑とともに建っています。軍都小倉は維新後1871年(明治4年)に西海道鎮台(のちの師団司令部)の設置が決定(当面は熊本に置かれることになりそのまま熊本鎮台、第六師団司令部となった)されたことに始まりますが、現実的には、1875年(明治8年) に歩兵第十四連隊が設置され、三ノ丸跡南側に兵営、その北西側に陸軍営所病院(のちに小倉衛戍病院、小倉陸軍病院に改称。戦後、国立小倉病院のなる)が開設されたことに始まります。兵営より南側は練兵場となりました。1927年(昭和2年)に陸軍造兵廠東京工廠の小倉移転が決定すると、翌年、歩兵第十四連隊は北方に移駐し、三ノ丸跡は練兵場一帯を含め、陸軍造兵廠小倉工廠(のちに小倉陸軍造兵廠に改称)の広大な敷地に組み込まれていました。奥元帥誕生地之碑は、1911年(明治44年)に薩長・皇族以外の出身者ではじめて元帥となった、奥保鞏(おくやすたか)の碑で、小笠原藩小倉の生まれ、1877年(明治10年)、乃木希典の後任として歩兵第十四連隊連隊長心得に就任されています。
1933(昭和8)年に陸軍第十四聯隊が小倉の地にあったことを記念する石碑が作られた。当初は北方の地にあったものを戦後になって現在地に移設されたものがこの石碑である。
| 名前 |
歩兵第十四聯隊之跡 碑 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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清張通り側にあります。小さな階段を下って石碑へ。♿車椅子でのアクセスは厳しいかもしれません。