国指定の史跡で歴史を感じる。
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| 名前 |
周防国衙跡(西北隅) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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国指定の史跡です。国府域は、立馬場筋を中心通りとした8丁4方の、俗に土居八丁(どいはっちょう)と呼ばれる地域です。周防国衙(すおうこくが)の形態がよく保たれているのも全国的に珍しく、学術研究の対象にもなっています。石碑は、土居八丁の四隅に、北西の佐波神社前、南西の勝間小学校北西部、北東の極楽寺道て阿弥陀寺道の分岐点のやや東方、南西の浜の宮の東方のそれぞれにあるらしいです。1186年文治2年、周防国が東大寺造営料国となり、以後東大寺から目代層(もくだいそう)が派遣され、国務を司っていました。その後も度々侵略は受けましたが、毛利氏の保障のもとで土居八丁の国府域は維持する事は出来ました。関ヶ原の戦いの戦いの後、毛利氏は国衙(こくが)の地を没収しましたが、東大寺の要請で返還しました。然し、秀就の代に財政が逼迫(ひっぱく)したため、これを収公し、その代償として米100石を大坂で渡す事にしました。その後、1728年享保13年には、土居八丁域を1000石と見積もり、これを四ヶ成(よつなり)にして400石に増石し、諸費を差し引いた335石を大坂蔵屋敷で東大寺に渡すようになりました。