飛び石を渡る歴史の縁。
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| 名前 |
田中平四郎翁と供有橋 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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昭和のはじめまでここには橋がなく、付近の人々は飛び石を渡るか遠まわりして黒川橋を渡っていました。田中平四郎は、ハワイでの苦労が実り砂糖きび栽培で成功をおさめました。昭和8年(1933年)自費でここに石橋をかけ「供有橋」と名付けました。現在の橋は、3代目の橋です。橋の南側のたもとに、一等水準点があります。一等水準点は、明治期に陸地測量部によって全国の主要な国道や街道沿いに2Kmごとに設置されたものです。大歳地区のこれは明治22年(1889年)に設置されたもので、別の場所にあったのを昭和57年(1982年)2月にここへ移動しました。一等水準点の横に、小さな石の道しるべがあります。「左 小郡 道 右 美祢郡 道」と書いてあります。左の道(石州街道)を行くと小郡に通じました。右の道(川を渡る)を行くと、吉敷に出て肥中街道で美祢に向かったのだと思います。